約束があるから待つ、予感を抱きながら
10月14日は鉄道の日である。
鉄道の日であってもなくても写真を撮り続けているが、そういえばなぜ鉄道のある風景を撮っているのか。それは通過する一瞬や車窓の変化など、エフェメラルな要素も少なくないからだろう。あるいは「約束と予感」を抱かせるからかもしれない。
約束と予感。
ともあれ写真には時間の流れをある程度固定する「約束」と、今を起点に時間を進める「予感」という両義性がある。それは写真には過去を含みつつ未来を目指しているということである。
そうであるならば、そこに写っているのは約束のある風景なのか。あるいは予感をそこに抱いているのか。
なぜ写真を撮るのか。今ここにいるという因果、なぜそこにいるのかというのは説明しきれない時もある。あるいは約束だったのか。
写真は過去の固定だが、固定して終わりでない。過去は未来への分岐点になるが、可能性の探究でもある。
約束はどこへ向かうのか、予感した通りのものになるとは限らないが。
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