黒川能に残る【鐘巻】
原曲を伝える
能【鐘巻】を観たことがある人はどれほどいるのでしょうか
五流では廃曲になっている演目です
ですが黒川能では現在でも上演されていて下座の得意演目の1つです
(下記参照)
2025年王祇祭は下座当屋の演目にある
【鐘巻】について書いていきます
あらすじ
紀州道成寺の住僧が「当寺である謂れがあり長い間撞き鐘(つきがね)がなかった。再興するため新しく鐘を鋳造した。今日は鐘の供養をする」と述べる
三人の能力(寺で力仕事をする人/寺の男)が鐘楼(しょうろう/鐘を吊るすお堂)に釣り上げ女人禁制であると告げられる
そこへ1人の白拍子(舞や歌を業とする遊女/舞妓や芸妓)が現れ「私も拝ませてほしい」と頼むが女人禁制だと断られる
それでも白拍子は引き下がらずに頼むが断られ
句を引いて嘆いた
その様子をみた能力はただ者ではないと感じ住僧に頼み舞を見せることを条件に白拍子を供養の場に入れる
白拍子が道成寺の由来を語り舞を舞ううちにその場にいた人々は眠気に誘われる
その隙に白拍子は鐘に近寄り撞こうしたが
思えばこの鐘は悲しく恨めしいと感じ
鐘を下ろし中へ飛び入ってしまった
能力は鐘が落ちたことに驚き住僧に報告し女人禁制の理由を尋ねる
住僧は話し始めた
「昔、近くにまなごの荘司という者がおり一人娘がいた。その頃熊野に年詣する山伏が、荘司の家を宿坊としいつも来ていた。荘司は娘を寵愛しており、娘にあの山伏は夫となるとふざけて話した。娘は幼心に本当のことだと思い年月が経ったある時、いつものように山伏が荘司の家に来る。娘は夜更けに山伏の寝屋に行き『私をいつまでこのように残していかれるのでしょうか。早く迎えに来てください』と言った。
山伏は動揺したが、そしらぬ様子でその場を取り計らい娘を元の閨(ねや)に帰し、夜に紛れて忍び出てこの寺に来た。隠れるところがないからと撞き鐘を下ろしその内に潜んだ。
娘は山伏を逃すまいとして追いかけた。
その時期の日高川の水は予想外に増水していたのか、娘があちらこちらへと走り回っていると執念の毒蛇となり、易々と川を渡ってこの寺に来た。
あちこちありかを探し求めた毒蛇は、鐘が降りているのを不審に思うと、鐘に巻きついて炎を出し尾で叩いた鐘は湯となって山伏を取り殺してしまった。なんとも恐ろしい物語だ』と述べた
住僧たちは鐘を上げるべく鐘楼に向かい祈る
鐘が上がるとふたたび蛇体となった女が姿を現した
僧たちは蛇体に帰るように言うが
「あんなにも悲しく思う鐘の音をなくさずに帰れと言うのか」と僧たちに対抗したが
祈り伏せられ鐘をしんみりと見返りながら執心は消え失せた
長くなりましたがこのようなあらすじです
(もしかすると所々訳の間違いがあるかもしれませんが大まかには合ってるはず…です)
鐘巻と道成寺
五流では鐘巻が廃曲になっていると書きましたが
同じあらすじの演目は現在も上演されています
それが道成寺です
黒川能には鐘巻と道成寺どちらも残っており
下座→鐘巻
上座→道成寺
それぞれ演じます
♢♢♢♢♢♢鐘巻は道成寺の原曲である♢♢♢♢♢♢
鐘巻の前半部分を切り詰めて乱拍子や鐘入りといった見せ場を際立たせたのが道成寺です
違いを細かく書いていきます
押し問答ありの鐘巻/なしの道成寺
あらすじにも書いたように
白拍子が道成寺に来て中に入れてくれと頼む場面
鐘巻はその描写を細かく何度もやりとりをして
句を引用したりなんとかかんとか懇願しやっと入れてもらうのですが
道成寺は能力が独断で白拍子を中に入れます
→ストーリー展開の早さ
語りの鐘巻/動きの道成寺
白拍子が中に入り道成寺の由来を語りながら舞を舞い乱拍子する鐘巻
由来を省略し乱拍子を引き立たせる道成寺
→ 語りか動きをみせるか
(黒川能下座の鐘巻では乱拍子があります)
蛇躰の鐘巻/鬼女の道成寺
黒川能では
鐘巻はシテ(白拍子/蛇躰)
道成寺はシテ(白拍子/鬼女)
となっています
→鬼?
執心消え失せ鐘巻/逃げ去り道成寺
鐘巻の最後のシーン
僧たちの祈りで蛇体はしみじみと鐘を振り返りながら悲しく消え失せていきますが
道成寺では逃げ去っていきます
→終わりの時間
こうして書いてみると展開を早めるにあたり変更箇所があったりするのでダイジェストともまた違うように思います
最後の場面で鐘巻は鐘を振り返りながら消え失せる蛇体の描写に哀愁を感じるのに対し道成寺ではあっさりしているように感じます
観ていて迫力があるのは道成寺なのかなと
次第に鐘巻が上演されなくなったのには道成寺の舞台演出の方が好まれたからでしょうか
あとがき
お読みいただきありがとうございます
鐘巻と道成寺を見比べながら書いてみたのですが
思いのほか長くなってしまった
幼少期のこと
中入りは王祇祭では休憩時間ということもあり
お酒を飲んだりおにぎりや当屋豆腐の振る舞いがあったりとにぎやかな時間です
鐘巻の鐘が下りて白拍子が内に入る
鐘入りで中入りになります
鐘の中に人いるのにこんなに長い時間閉じ込められてるの?
鐘の後ろ開くの?出入りしてるの?
入ったように見せかけてるだけ?
なんて子供心に疑問をいだいてましたが大人に聞くことはできませんでした
今みたマジックのタネがわからないから教えて
というのに近いものを感じていたからだと思います
それに鐘巻と道成寺の違いがわかりませんでした
大人に聞くのが少し恥ずかしいと思っていたその頃は
下座が演じる時は鐘巻で上座が演じる時は道成寺になるだけで元は1つしかないと解釈していました
大人になるにつれて鐘巻と道成寺のことを知った時はかなりの衝撃でした
どちらも存在する演目だったなんて
それと同時に幼少期の疑問がなくなりスッキリしました早く聞けばよかっただけのことなのに