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哲学が世の役に立つとき <竹鶴政孝と酒税法>


竹鶴政孝さんのウィスキー作り

 政孝さんのウィスキーづくりと、哲学が一体なんの関係があろうか、と思われる人も多いと思う。政孝さんはおそらくは哲学と縁はないだろうし、別に彼のウィスキーづくりにある人生”哲学”に何か哲学性を見出そうというわけでもない。(もちろん見出そうと思えば、見出せるとは思う。学問的な哲学と人生哲学は明確に区引きできるものではない)

 しかし、今回私が触れようと思うのは、実際に彼のウィスキーづくりを不可能にするかもしれなかった、ある哲学的(より見知った言い方としては、ある税制的)な問い掛けについてである。

ウィスキー作りではなく、ウィスキー商売にある壁

 詳細は省きますが、政孝さんは幼少期は竹鶴家という酒造業の三男でした。高校卒業後は摂津酒造で働き、そのあとにウィスキー作りを学ぶために本場スコットランドへ留学し、有名な竹鶴ノートを記録することになる方です。本人の著作である「ウィスキーと私」では、ウィスキーに笑いウィスキーに泣いた人生だったと回顧されるほど、ウィスキーに人生をささげられた方です。

 さて、スコットランドから帰ってきた政孝さんは紆余曲折ありサントリーでウィスキー作りをすることになるのですが、そこである酒税法が問題になりました。

まだ売ってないのに課税されるお酒たち

 当時の酒税法は「造石税」と呼ばれる課税方法でした。
 お酒に対する税を取るタイミングは「造石」されたとき、つまりお酒が造られたら”直ちに”でした。

 これはウィスキーで商売しようとする人には大問題でした。
 なぜなら、ウィスキーは蒸留後すぐに売るわけではありません。ウィスキーは蒸留後に一応お酒としての体が出来あがったあとに、樽詰めして何年も寝かさないとウィスキーとはいえません。(実際に、政孝さんがサントリーでウィスキー作りを開始したのは1923年ですが、それらを販売できたのは6年後、1929年のことでした)

 また、ウィスキーは樽に入っている間に揮発してどんどん減っていきます。年に数パーセントづつもなくなっていくのです(しかしそれに伴う味の変化が良いウィスキーに必要ともされる)。

 よってもし、このような造石税が続けば、六年先に実際に売るかどうかも分からないし、作ったあとに減っていくウィスキーとしてはまだ未完成なものに税金を払わないといけないことになります。

 政孝さんはこれは何とかしないといかんと、当時のサントリーを管轄していた税務局の関税部長である星野直樹さんへ何度も直談判しに行くことになります。けれども最初は「例外は認められない」として頑固に対応されたと述べられています。

 これは推測ですが、当時と今では酒税の”重さ”がまったく違うように思われます。今では酒税が国税に占める割合は令和元年度で1.9%ですが、当時は
国税のうちの14.8%(1919年時点)もが酒税で賄われていました。
 当然、税の取り逃がしに対する警戒も高かったことでしょう。

 しかし、星野さんも政孝さんの熱心な説得に耳を傾けるようになると、考えを変えることになります。結果として最終的には樽を寝かした倉庫から”出庫したタイミング”で税を取る「出庫税」というものが適用されることになります。

ウィスキーは”いつ”出来上がるのか?

 ではなぜ星野さんは意見を変えたのか、それは星野さんも政孝さんに熱心なウィスキーの作り方の説明をされているうちに、「樽の中のウィスキーはまだ完成していないから”半製品”であり、製造し終わってないので課税対象ではない」と考えるようになりました。

 これは当たり前に思えて重要な視点転回です。星野さんは税制を変えるのではなく、現在の税制の中においても「出庫税」という形式が相応しい。つまりウィスキーの製造終了のタイミングは「出庫時」であると考えたわけです。

 単に政孝さんが真剣だとか、熱意にほだされたという”だけ”ではないのが重要なポイントではないでしょうか。
 つまり、その熱意に押されて、意識的に論理的な(あるいは哲学的な)思考を働かせた結果として、税制を改めるまでもなく単なる在庫と寝かされているウィスキー樽全く違う状態にあるとの考えに至った点が重要に思われます。そのおかげで、単に政孝さんの要望が認められたわけでなく、日本のお酒産業が全体として発展する下地が整ったということを意味するわけですから。この一件を経て、実際に「出庫税」が例外で「造石税」が基本だった税制が、次第に「造石税」が廃止されていき「出庫税」に一本化されていくこととなります。

税制に哲学は欠かせない。

 紹介した政孝さんと星野さんの間で起きたことは、単に税制をめぐった押し問答ではない、と私は思います。
 この件で見るべき哲学的ポイントは、当時の日本酒をベースにしたお酒造りの本質”だけ”では、同じお酒でありながら未知であるウィスキー作りの本質が捉え切れなかった。という点にあるように思えます。よって本質的なお酒造りとは何かを理解して初めて、ウィスキーが完成する瞬間=課税すべき瞬間が定めらたのです。

 この種の哲学的な洗練は、酒税法にかぎらず社会制度を整えるのに非常に重要な役割を果たすでしょう。なぜなら、たとえば市民から税を取るうえで「どういう理由で」「どこから」「どのタイミングでお金を取るのか?」というのとても大事なハズで。手間が掛からないところから都合よく取ればいいという物で無いはずだからです。

 これは単に制度設計が大事という静的な意味に収まりません。
 なぜなら、私たちは”常”に新しいことに挑戦していくものですから、行政の制度も”常”に刷新が求められるという動的な意味となります(もっと言えば、行政の判断区分は厳密には”常”に時代遅れとならざるを得ない、と言い換えてもいい)。

 そんな中で、今回紹介した話は政孝さんと星野さんが哲学的な素養があったからこそ、「造石税」よりも「出庫税」という制度。つまり哲学的に相対的に相応しい制度にたどり着けたという話なのだと私は思っています(別に彼らが哲学者だったとしたいわけではない)。

 そして哲学はこういった、物事を収まるべき方向に収める役割を担っているとのでは? と私は思っています。
 「どういう時に何が正しいのか?」を考えるのが哲学の正しさです、私にとっては。決して「どういう時に(効率的に)何が正しいのか?」を安易に追求する学問であってほしくはないですね。(例えば、単に税制の効率性という点でいうと、「造石税」を一気に「造石税」にすることは現実的に難しい、でも「造石税」と「造石税」が併存すると非効率すぎる、、、 などと考えていると、このような制度刷新は行えません)

 たとえば、「出庫税」を認めることにした税務局(とその上部組織である大蔵省)は、実際にそれを実行するときに、ウィスキー樽の欠減のチェックや検査簿の作り方が分からないと政孝さんに助言を請うたそうです。(また後にそもそも造石税そのものが撤廃されることとなります)

 さり気無いことかもしれませんが、このような姿勢。つまり正しい方向に刷新するための手間を受け入れる姿勢、これこそが正しいことを守るための尊い姿勢なのだと感じます。

 以上、政孝さんの書かれた『ウィスキーと私』を読んでいて、ふと「これも哲学的思考の現れかも」と感じたの書いてみました。哲学ってけっこう色々なところに溢れているし、気付くとそれに助けられているなぁと感じることも多々あります。ささいな生活を守ったりより善いものにするのもまた哲学です。
 もっともそれを意識しないでいられる社会のほうが、正しさを大事にすることが浸透している社会とも言えるかもですが。市民がみな哲学的な考えを持たないと自分を守れない社会と言うのも、それはそれで世知辛いものな気もします。

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