轍(わだち)の縁(ふち)を踏みつけろ!ガニ股でススメ!|||おいてけぼりnote
ひとと比較しない!と一昨日決めたばかりだが、
みなさんの文章を読んでいると
「わーすごいなぁ・・・。わたしには書けない」
と思ってしまう。比較して、自分を貶めてしまう。
思ってしまうのです!!
アリマセンカ!?
わかっちゃいるけどやめられないってこと。
考えてもしょうもないことが、いつの間にか頭の中巡ってること。
ぐわん、ぐわん。頭を何かが巡る音。
わたしったら、どうしてこうも自己肯定感が低いのかしら?
ぐるん、ぐるん。
あー。幼い頃に母からあまり認めてもらえなかった感覚、思い出すよね。
ずり、ずり、ずり。
でも母が同じである弟は自己肯定感低くなさそうよ?
くるん、くるん。
やっぱり人と人の間には、相性というものがあるのでしょう。
がらん、がらん。
母とわたしは相性良くないよね。
ぐるぐるぐるぐる。
しょーもなっっ!
こんなことを何千回、何万回と考えている。
しょーもなっっ!
みなさんのnoteを読んでいる、今のわたしの場合
「わーすごいなぁ」
と思うのはいいよね。だって感心感動しちゃう文章を読んだんだから。
淡々と整然と書いてある文章を読んで、クスッと笑えたり
わちゃわちゃと楽しく書いてある文章を読んで、つらさが伝わってきたり
なんてなんて、素敵なことでしょう!
楽しいな、楽しいね♪みなさんすごいなぁ♡
「・・・わたしには書けない」
と思ってしまうところ。これが、しょうもないこと。
書けないに決まっているよ。
同じように書けるはずない。同じことなんか何もないんだから。
生まれも経験も、考えも熱量も、書く力も。全部違う。
文章が同じになることなんて、ありえないことはわかっている。
いいえ、同じ文章を書けないと思うのではなく
整然と淡々と美しく、読んで胸がどきどきする文、
臨場感に溢れていてあたかも自分がいま体験していると錯覚するような文、
心のどこかにあったけど、自分では掘り返せなかった感覚を教えてくれる文、
こんな素敵な文章が書けないと思うのだけど。
わかっているのに。
「わたしには書けない」と少し縮こまってしまう。
思考に轍ができていて、そちらへそちらへ進まされてしまう。
ぐわんぐわん、ぐりんぐりん、がらんがらんと
何度も通ってきた思考の道が、深く深く掘り込まれていて
歩こうとすると足が取られてしまう。
ならば、その轍から一歩足をはみ出して。親指の先を少しだけでも。
少しの意識と少しの筋肉で。
「あ。轍にハマった」と気づいたら、そのときは
「よいしょ」っと力を込めて足を轍の外へ踏み出そうとする。腹に力を入れて、腿を高く持ち上げて。
踏み出しきれなくてもよい。轍の縁を踏みつけちゃえ。踏みつけるたびにその縁は崩れていく。
出来上がってしまった、思考の轍が轍でなくなっていくさ。
右の足を右へ。左の足を左へ。
おっと!足場が悪いな。歩く格好も変なガニ股!
よろよろとはするけれど、おかげでちょっと笑えてくるよ。
よし。