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喜びも悲しみも幾コマンドー

『コマンドー』を見た。
どうにもできない巨大な反省と教訓ばかりが降り積もっていく、重圧と無力感に苛まれる日々の中で、何もかも忘れたかったから。

2人の男が箱乗りした清掃車が早朝の高級住宅街を進んでいくオープニングをすっかり忘れていた。
この後「おおい、待ってくれ!」と慌ててゴミ出しに訪れた男を、箱乗り'sがマシンガンで蜂の巣にするのだが、出てこなかったらどうするつもりだったのか。杜撰にも程がある。
このオープニングを忘れていたのは私の過失ではない。元から忘れてもいいようなエピソードだったのだ。

続くシークエンスでどうでも良さはさらに加速する。
車屋さんで当時(1985年公開)すでに脅威であった日本車を貶しキャデラックをプッシュするセールストークが流れるように展開され、屈強かつ無反応な箱乗り'sの片割れクックが平然と乗り込み、エンジンを掛ける。
慌てて制止しようと立ちはだかったセールスマンごとウィンドウを突き破って逃走するのだが、私はこの場面を車を盗むためだったと誤解していた。
当たり前だ。
撥ねたセールスマンが死亡したか確認もしていないし、一度こんな目立つ手口を用いてしまっては殺り直しも効かない。杜撰にも程がある。
見ている方はあまりの無茶苦茶さにただただ唖然とするばかりだ。

「これはそういう映画なのだ」
分別を弁えた良い大人は開始10分で悟る。
深く突っ込んだ所であっという間に「野暮の壁」に突き当たるという事を。ある意味、親切設計といえる。
見る者はスナック感覚でアーノルド・シュワルツェネッガーの聖なる筋肉が巻き起こす奇跡のご都合主義を堪能して、翌日には踵の角質のように忘れ去れば良い。

続いてようやく本作の御本尊が開帳される。
ロッキー山脈(シエラネバダ山脈かもしれないが気にしない)の山奥で汗ばみ、隆起するシュワルツェネッガーの筋肉である。
うん!すごいからだだ!
愛娘ジェニーとの隠遁生活に幸せいっぱいのジョン・メイトリックス元大佐。
うん!じぇにーかわいい!

そこに元上官カービー将軍が護衛を伴って登場、メイトリックスの元部下たちが立て続けに殺害された事を告げる。
えっ?あの間抜けなゴミ出し亭主や、冴えないアメ車セールスマンが元特殊部隊だったの?米軍ェ…。
Wikipediaを読んでから動揺を隠せない自分がいる。
しかし鑑賞中はまるで気にしていない自分もいる。

ボンクラを体現したような2人の護衛を置いて去っていくカービー将軍。
その後速攻で襲撃され、護衛の1人は摂理の如く瞬殺される。傷付きながらも顔出しに成功した生き残りも「匂いで攻撃を察知しろ」と無茶振りされた挙句、ドアに立てかけられるホラー仕掛けて死体となって再登場。
「娘は預かったぜ!抵抗しない方が身のため…」
余裕の足組みスタイルで告げた襲撃メンバーはメイトリックスの腰溜めショットに問答無用で吹っ飛ばされてしまう。
お前なんのために出てきたんだよ。彼の存在意義は書き置き以下の重さしかない。
ここまでで既に杜撰にも程があるが、虚無は更にエスカレートする。
メイトリックスは愛車で後を追おうとするが、もちろん動力は破壊されている。非マッチョの凡人ならここで諦めるがそうは筋繊維が下ろさない。
化石燃料エネルギーがダメなら位置エネルギーがある、という事を我々はシュワルツェネッガーの隆起する肉体で学習するのである。
重力プレゼンツ慣性のままに斜面を駆け下るシボレーバンでテロリストの車列を狙うメイトリックス。「そうはならんやろ」という見る者のつまらない日常性をぶちのめして目出たくクラッシュ。御都合主義にも程がある。
メイトリックスは大暴れするが娘を盾にされ活動停止。そりゃそうなるわな。これは摂理だ。
更に人里に降りた猛獣のようにぶっとい麻酔銃を撃ち込まれ意識を失ってしまうのであった…。

まあね、以後も一事が万事この調子なので安心ちゃ安心なんですわ。
元部下の裏切り者ベネットの怨念も、フロリダから飛行機で11時間もかかる中米の小国家も、元独裁者のクーデター計画も、ジェニーの可憐な勇敢さも、ヒロインのシンディの心境の変化も、筋肉というデウス・エクス・マキナの歯車に過ぎない。
御都合主義で解決される事が確約された展開を窮地とは言わないので、これほどハラハラドキドキと縁遠いジャンルもそうはない。
お約束の摂理と、掟破りの杜撰さの往復で『コマンドー』は成立している。

【お約束の摂理】
「中米の小国でクーデターを起こせ!さもないと娘の命は…」

【掟破りの杜撰さ】見張り役を衆人環視の環境で何なく殺害(起こさないで欲しい。死ぬほど疲れてる)、離陸直前の旅客機から湿地帯に飛び降りて無傷で生還

【お約束の摂理】
飛行機のフライト時間、11時間がタイムリミットとなる&一味のサリーを追跡

【掟破りの杜撰さ】
巻き込まれ方ヒロイン、シンディの車を一部破壊した上で同乗、追跡を依頼

【お約束の摂理】
ショッピングモールで常識人シンディが通報、警戒網が敷かれる(筋肉モリモリマッチョマンの変態だ!)

【掟破りの杜撰さ】
警備員、警官に取り囲まれて大立ち回り、ベネットらに報告しようとしたサリーの入った電話ボックスごと引っこ抜いて破壊、追っ手を全員倒してシンディの車でサリーを追跡開始!
…。
皆さんの言いたい事は分かります。でもこの後もっと酷くなっていくんですよ。

とまあ、こんな調子でストーリーは進行していく。
頻出するツッコミどころはカウントはしても個別の案件に深入りはしない。詮索も考察も意味なんてない。それを常に念頭に置く事がこの種の作品に対する鑑賞マナーと言える。
このドライな諦めは、ある意味杜撰にも程がある本邦の現実社会に対する諦めのワクチンとして作用する。
本作、というか80年代ハリウッド筋肉アクションの不文律は徹底した無責任さである。「杜撰さ」「暴力」「御都合主義」。伏線らしきものが実は場当たり的な思い付きに過ぎず、もちろん回収などされず放置されていく。後は野となれ山となれ。
しかし作られた架空の無責任は、無自覚な無責任が大口を開けている現実社会に対する絶望のワクチンとしてこれまた作用する。

とはいえ、本作そのものが忘れてもいいような映画であることは疑いようのない事実なのだ。
いいんだ俺。忘れるがいい。屈強な男どもが清掃車に箱乗りしている場面から全て。
あたかも踵の角質のように。
そしてまたいつか真っ新な気持ちで『コマンドー』を見るんだ。
「生きる」ってそういう事なんだよ。きっと。


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