生きるとは?
生きるって何?
生まれてきた意味って何?
どうせいつか死ぬのに、
なぜ頑張って生きなきゃいけない?
そもそも生まれてきたくなかった。
あなたも一度はこのような問いに行き当たり、
考えたことがあるのではないでしょうか?
生きることとは?
例えば、
家族や愛する人のため。
自己実現や成長。
社会貢献や他者のために生きる。
幸福を追求するため。
挑戦や冒険。
生きること自体の意味を探求する。
答えは人によって様々でしょう。
そして私も、この問いに行き当たった一人です。
この問いに行き当たった当時、考えても考えても私には答えが分かりませんでした。
神に与えられた使命があるという考えは私にはありませんし、生きる理由は自分で見つけるものだという考えも一つに過ぎず、それが真理だとは思えません。
そんなモヤモヤしていた当時、ふと思い立ち、何のために生きるのか、生きる意味とは何なのかを検索してみました。
その時に出会ったのが、
アルボムッレ・スマナサーラ長老のコンテンツです。
彼はスリランカ出身のテーラワーダ仏教僧侶で、日本で仏教の教えを広める活動を行っており、現代社会における仏教の実践方法をわかりやすく解説しています。
私が尊敬する方の1人です。
彼が発信しているコンテンツをいくつかご紹介します。
動画で見たい方はこちら(⚠️音量注意)
さらに深く知りたい方には、スマナサーラ長老の著書や講演会もおすすめです。オンラインで視聴できる講話シリーズもありますので、ぜひチェックしてみてください。
この記事に出会って、私のモヤモヤしていた気持ちが霧が晴れるようにスッキリとしました。
解説を読んだことで『なるほど、確かにそうだ』と理解できた一方で、どうしてこんなシンプルなことに気づかなかったのだろうという気持ちが湧き上がりました。
まるで、ずっと背後にあるものを見逃して、前を必死に探し回っていたような感覚でした。
生きることには意味が無い、それは絶望的な話ではなく、ただ自然現象の一部として捉える視点でした。
しかし、意味が無いと理解した瞬間、同時に迷いも生まれました。
『ではどう生きればいいのか』
『死ぬ時に後悔しないためには?』
と考えてしまったのです。
未来の自分が納得できるような生き方をしなければという強いプレッシャーがあったのです。
しかし、彼の別の記事を読むことで、
私の迷いも解消されました。
未来や死のことを考えるのではなく、
『今この瞬間をどう充実させるか』
だけが大事だと気づいたのです。
無意味だからこそ、肩の力を抜いて、ただ今を充実して生きることが大切だと感じています。
結果や意味に縛られず、ただ自分がやりたいことを楽しみながら生きていく。
その過程こそが、私にとっての「生きる意味」なのだと、今は思うのです。
地球や太陽に意味がないのと同じように、
私たちの人生にも意味はありません。
でも、それでいいのです。
無意味だからこそ、私たちは自由に生きられる。
使命があれば、それに従わなければいけなくなりますよね。
しかし、無意味であるということは
私たちが自由に選べるということ。
自分だけの生き方を見つけて、
軽やかに歩んでいきましょう。
そう思うと、少し楽になりませんか?
読んでくれたあなたが幸せでありますように。