神か仏か

神様の話をすると、不思議がる日本人が多くなってしまった。ここは神国なのに、不思議な真逆の事態になってしまった。仏と神の違いも知らない日本人の義務教育は、世界の日本の右も左も分からせないためのプログラムであった。

そんなに昔じゃない一時期、小さなマリア様を首にかけていた。プロテスタントの旧友が大切なものをくれたから。誘われて教会も一緒に行ったけど、牧師がいて讃美歌を唄って、それなりの時間を過ごした思い出、それだけの体験。

幼稚園はキリスト教も仏教も体験した。私はキリスト教のイエス様アーメンの幼稚園の方が好きだった。後に通った仏様の方は登園拒否くらいに嫌な思い出になった。先生もお友達も住んでる場所も好きにはならなかった。5歳の私には神戸は外国だった。それはそれで血の方で当たっていた。

今は日本の神道、元始まりの元始神道を学んでいるけど、キリスト教は神道から来ている。聖書の元は日本の教えである。ここで納得する。なぜ私が仏様より神様が好きだったのかを。釈迦もイエスも人である。

小学生はエホバの友達がいて良い子で仲良くしていた。高校は創価のクラスメイトが、辞める私を同情してか頼んでもない大作の本を貸してくれた。今は家にエホバが懲りずに話にくる。何度か親切にお喋りしたからだけど、私も暇ではないからもう出ない。その女性とその小学生の同級生は知り合いらしいが関係ない。

二十歳くらいに仲良くした男の子が宗教好きでゾロアスター教から語る人だった。全く興味のない自分でも、その単語を覚えていたのだからちゃんと聞いていたんだな。確かに神道神道と言っていた。信じるものは自分以外にない、神も救わないと耳に入れたくなかった。ますます荒んだ。

阪神淡路大震災は小3だった。ポーアイ(神戸ポートアイランド)に世界一のスパコン(スーパーコンピュータ)が出来てしまったから、グローバリストは破壊できて大満足だっただろう。その後も日本のコンピュータ技術は伸び続けた挙句、技術者も買われまくった。日本の頭脳は今も一流である。

神も仏も無いなと思わせた出来事だった。冬の朝方、真っ暗な中、天井が落ちたら生き埋めだと布団の中で冷や汗をかいた。15階建、新築から4年目、半壊のマンションは見るも無惨だった。

引越ししてマンションに住むことになったのは、父の仕事の関係、明石海峡大橋の着工のためだった。当時世界一の吊橋と大きな仕事で父も意気込んでいたと思う。数年前に知ったのが、そのボーリング調査を外国企業ベクテル社が請け負っていたこと。

記事抜粋
『これだけではないのです。どのような事情があるかはわかりませんが、日本政府は原発の建屋であるとか、大型の橋梁工事ではその土台部分の最も重要な部分をいわく付きの外国企業にまかせているケースが多いのです。つまり、工事は大林組などの日本企業が受注しているのですが、一番安全を左右する部分を外国企業にやらせているのです。それもいわく付きの業者にです。』

運命に左右される父と家族であった。地震が無ければ、永住の地でもなかったここには住んでいない。父が四国の橋を作っていた赤ちゃんの頃は淡路島に住んでいた。やっぱりまた淡路島だ。

話が逸れに逸れる。上手くまとめると神様の話と陰謀は切っても切れない。神様がいる証拠をどうしても民に知られてはならぬ浮世の事情。

もう一つ忘れてはならない神様の話。
小学校の修学旅行は三重県伊勢だった。そこで買った、お土産の白さや耳かきを今も愛用している。水晶がぶらぶら付いている。(前置)

伊勢神宮にも参拝したんだろうけど、まったく記憶にない。だけど夫婦岩、これはずっと忘れない。皆で夫婦岩を手前に日の出を見た。岩の間から見るんだよと先生も教えてくれた。その先に富士山が見えると言ったかも知れない。オレンジの日の出が綺麗でずっとずっとその場に居た。初めての日の出体験がここだった。多感な子供時期に余計に感動した。神聖な気持ちになった。だから忘れていない。

伊勢神宮の真の正式参拝が夫婦岩から見える富士山に向かって参拝するように造られているそうです。
だからか、と今更納得の思い出。

続く、、、