最後の中平卓馬
東京国立近代美術館で写真家の中平卓馬(1938年- 2015年)のデビューから最晩年までの作品を網羅する「中平卓馬 火―氾濫」(2024.2.6–4.7)が開催している。
60年代後半から中平は既存の表現と異なる「アレ、ブレ、ボケ」と評されるわざとボケた白黒写真を発表し始め、新時代の写真家として注目されるとともに、彼は批評家としても活動し、雑誌「朝日ジャーナル」などでルポルタージュや批評も精力的に執筆する。既存の制度を疑い、反逆する姿勢はその時期に発表した写真や文章に現れている。
彼の最初の転換点は1973年に起きる。
この年に中平は「なぜ、植物図鑑か」という評論集を出版する。
この著書において、中平は今までの技巧的な自分の作品を否定し、「植物図鑑」を理想として、物事をあるがままに撮ることを宣言したのだ。
彼の姿勢は徹底していた。
自らの作風を否定するためにそれまでの作品を砂浜で焼く。これを機に、モノクロからカラーに変わり、ピントを合わせた写真を撮るようになる。中上健次や篠山紀信とのコラボレーションや沖縄へ通うようになるのがこの時期だ。
その時代の写真には、それ以前の白黒写真を理論だけではなく、実践的に乗り越えようとする中平の悪戦苦闘を感じる。
そして、この頃に中平にとって生涯最大の出来事が起こる。
1977年に中平はパーティの最中にアルコール中毒で倒れたのだ。
中平は一命をとりとめたものの、記憶と言語に重大な障害を残すこととなった。
これが結果的に彼の二度目の作風の転換点になる。
会場には、リハビリのために書かれたのか、中平がメモ帳やタバコの空箱にびっしりと書かかれた日記が展示されており、細かい文字を見るだけでも病との苦闘を感じ、胸をつまらせた。
病は彼に苦難だけを与えたわけではない。
なぜなら、今までの作品とは段違いに、病に倒れた以降に撮った写真が素晴らしいのだ。
題材は家の近所にある畑や鉄塔、花などの日常の風景だ。ありふれた日常を写した写真は比喩ではなく、どれも輝いている。
病によって「アレ、ブレ、ボケ」や「植物図鑑」と言った写真とセットにあった言葉を捨てざるを得なくなった。言葉抜きで現れた写真そのものの凄味を感じる。
私にはこの時期の中平の姿が吉本隆明が「最後の親鸞」で書いた晩年の親鸞像と重なって見える。
吉本が描いた親鸞は思考を突き詰めた先にある絶対他力の領域へ「老い」による認知機能の低下によって到達する。
親鸞、中平ともに思考で到達しようとした世界へは「病」や「老い」という自分ではどうにもならないものによって、入れたのだ。
晩年の中平写真の美しさは理想とした「植物図鑑」のように、ありのまま世界を見た輝きだと思う。
その美しさに気が付かないだけで、わたしたちの回りには美しき世界に囲まれている。
だが、それを感じないのは、無意識のうちにこの美しさを検閲をしているなかもしれない。
最後の中平卓馬が写し出したのは、自己が壊れて世界に接続した真におそろしい景色なのだと思う。