ミッシング・チャイルド・ビデオテープ 感想と、Jホラー合う合わないについて
ホラージャンルというのは色々とあるが、その中にJホラーという分野がある。
ChatGPTにJホラーとは何か300文字以内で説明をお願いしてみた。
多くは呪いや怪異が静かに忍び寄り、時に超自然が相手になり、じっくりと何気ない日常を侵食させていく流れが特徴的といえるのではないだろうか? そこに因習や土着の神様などが絡んだりもする。それらが物語の中盤を過ぎるまではっきりしないのも特徴だ。
大抵は、主人公やその仲間が意味も分からずに不幸な事件に巻き込まれて、その謎をどうにか解こうと模索するものの、更に不可解な出来事が起きていき不安と焦りが肥大していく流れではないだろうか。
派手な音響やジャンプスケアに頼らず、怪異や超自然現象の存在をほのめかす部分的な証拠や何かが起きていることを示唆するアイテムや過去の新聞記事などを小出しにしながら、見ているものを常に不安の中に引き込むのが特徴だろう。
感受性強く、何かを察しやすい人には非常にはまる分野だと言える。
そんなJホラーの新作である『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』を観てきた。
監督は、年末にテレ東深夜枠で放送されたモキュメンタリードラマ『イシナガキクエを探しています』の監督でもある近藤亮太氏だ。
筆者が冒頭でJホラーについて触れたのは、近藤監督がJホラーを作りたいと宣言しているところからも来ている。
そう、この作品はまさに監督が目指したJホラーなのだ。
筆者は、年末に放送された『イシナガキクエを探しています』にはまり、あの得体のしれない怖さに慄いた身として監督の映画作品に期待を寄せていた。
そして、鑑賞してきた。
結果、大満足である。筆者がこうしてnoteに感想を書くときは大満足したか不満がありそれを記録しておきたいかのどちらかである。まあまあ、あるいはイマイチな作品の場合はスルーする。(とはいえ、大満足しても書かないことが多いのだが)
イシナガキクエを探していますで表現されていた、不穏さ、不気味さ、一見何が起きているのかはっきりしないさまが継続されていた。これぞJホラーの醍醐味ではないか。
薄暗い世界の中で作中ずっとじっとりとした雰囲気がスクリーンからにじみ出ていて観ているものが訳も分からず居心地の悪さを感じる。
まさにJホラー作品といえるのではないだろうか。
物語冒頭で主人公がクマ避けの鈴を子供に子供に渡すシーンがあるが、まるでそれきっかけでクマではなく悪霊のような負のオーラを帯びた何かが引き寄せられるように不穏な空気が立ち込め始める。しかし、それははっきりとした悪霊の類ではなく、不穏な何かとしか言いようがない。
その証拠に、まず現れたのが実家の母親から届いたビデオテープだ。
引き寄せられるように届いたビデオテープの中身を観ることにより、物語は少しずつ不穏な空気を帯びていくのである。
このじんわりと浸み込んでいくように不穏な空気が立ち込めるさまが実にJホラーなのである。
いきなり怪異やモンスターの類の存在がほのめかされるわけではない。「何かがおかしい」という空気だけが序盤では示されるのだ。それを観ているだけでこちら側は落ち着かなくなってくる。それがその先への欲求を惹起するのだ。
こうした空気感を味わうのがまさにJホラーの醍醐味であり、この作品の醍醐味とも言って過言ではないはずだ。
ここでまだ観ていない人に気を付けてほしい点は、イシナガキクエを探しています、とは違った雰囲気である個所だ。それはまさに4回に分けて放送されたテレビシリーズとスクリーンで上映される長編映画との違いからくるのだろう。4回にわたり区切りながら放送された作品だと、頻繁に不可解な要素が映し出され視聴者を飽きさせず幻惑の中へと放り込み続けられる。また、ドキュメンタリーを観ているような流れなのでまさに視聴者の日常の延長戦の世界戦で起きた事件を見せられているかのようで、観ている側の浸り具合も深まる。自分の日常もまた壊されているかのような錯覚に陥るのだ。
一方、長編映画の場合、あくまでフィクションの世界を観ているという割り切りがある。魅せ方も変わってくる。フィクションの話となると、主人公を中心とした話になるし、主人公の人生に見え隠れする様々な要素を拾い上げてみていかなければならない。今回は、子供の頃に一緒に山の中に遊びに出かけ、廃墟で弟だけが失踪し大人になっても未だ見つからない主人公が主役だ。子供の頃に弟を何となく拒否していた様が映されていて、そんな感情のままで突然の不条理な別れを体験した主人公の心境を察する必要があるのだろう。また、父親も亡くし、他にも作中でなくすものがある。主人公のこの身辺に近い存在が消えていく(奪われていく?)様も考慮しなければならない。こうした登場人物が作中で起きる事象を通してどう心理が変化していくかを眺めることもまた長編映画を観ていくところのポイントであり、イシナガキクエを探しています、みたいな作品との違いでもあるだろう。
もしかしたら、イシナガキクエを探しています、の空気感を期待して観に行った人もいるかもしれないが、そこは峻別して観なければいけない。実際、レビューの中からあえて不評な内容を眺めていると、何かそこに期待していたかのような雰囲気を感じ取れなくもないそれが散見された。
この作品の特筆すべき点は、監督も意識しているというJホラーの雰囲気である。
全体的に暗い色調であり、役者の演技も派手さは全くない。ちょっと前まで頻繁にあったアイドルを推すためのような要素も皆無である。エンディングに派手な曲が流れだすこともない。むしろ、役者は正直ほぼ知らない方であった。むしろ、それが変な先入観を惹きこむことなくいい方向に出ていたと思う。悪く言えば地味な画ばかりだが、むしろその地味な画が味わい深く感じられるのだ。
画面の色調、役者の押さえた演技、ジャンプスケアもなく、グロテスクな表現もない。もちろん、モンスターや殺人鬼が襲ってくることもない。ただただ静かに、しかしながら確かに物語は進み続ける。これだけ書くと、ただ地味などちらかといえばアートよりな作品なのかとも思えてくる。しかし、何度も言うようにこれはJホラーである。
派手過ぎる演出はむしろ邪魔だ。
そのじわじわと湿りっけのある演出をかぎ取ってゾクゾクできるかが作品を楽しめる鍵なのだ。この作品を楽しめた人は、きっとその静かなシーンに潜む恐怖をかぎつけているからこそ満足しているに違いない。静かだからこそ、想像力を膨らませてしまい、「あそこに何かあるのでは?」「あのアイテムに意味があるのでは?」「あの時のセリフは何かの暗示?」などと想像と緊張の連続だったはずだ。
実際、作品ではまさにその静かなシーンでふと映し出される何かに意味があったりする。なんとなくは見ていられない。
残念ながら、評価の低い作品レビューを眺めていると派手さに欠けて眠くなってくるという内容も確認できた。おそらく、そういう人たちは殺人鬼やジャンプスケアとまではいかなくても、主要登場人物が大げさに恐れ戸惑いながら追い込まれていく様を観たかったのだろう。しかも、そういうシーンが頻繁に出てくることを望んでいるのじゃないか。そういう分かりやすく伝わってくる演出じゃないと感性に響いてこないのかもしれない。
評価の低いレビューを眺めていると、この作品は意外にも万人受けする作品ではないのかもしれない。というよりも、もしかしたらJホラーがそれほど多くの人に受けしない作品になったのかもしれない。特に、普段から好んでホラーを観ていない人たちには。ホラーにも、アイドルが出る作品にみられる分かりやすさは必須なのかも。恐怖がじんわりと侵食する系統の演出はもはやマニア向けなのかもしれない。
『ミッシングチャイルドビデオテープ』のような作品は、Jホラー特有の曖昧さとじわじわ感を実に見事に体現しているが、それが評価の分かれ目にもなっているのだろう。
しかし、感受性の高いホラーファンならばこうした作品に自分なりの恐怖を見出し、様々な考察と解釈を繰り出して楽しんでくれているはずだ。
今後も、近藤監督の作品を期待したい。