やっぱり松井家は最高だぜ! 未来の森ミュージアムが大好きすぎるオタクの展示会レポ
皆様、本日も立派に細川家家臣を勤めておりますか? 仲間ですね! 細川家臣だったら、筆頭家老家である松井家への敬意も勿論忘れていませんよね? 仲間ですねえ!
熊本県八代市にある八代市立博物館未来の森ミュージアムでは、【令和5年度冬季特別展覧会「武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~」】が開催中でありました。会期としては終盤、終わり間近の訪問となりましたが何とか行くことができて、ほっとしています。
松井家に伝来する武器・武具の名品を一堂に!
何度かnoteにも書いている未来の森ミュージアムさん。財団法人松井文庫の素晴らしい遺産の数々は、武家文化を伝えるものとして今日まで大切に残されており、未来の森ミュージアムさんはそうしたを品々を一つずつ、余すところなく、素敵な情熱で以て私たちに提供してくださっていると思います。本当にね、もうね、時期とか合えば学芸員実習もこちらに行きたかったくらいなんです私は!!
朱塗鞘打刀拵の話
松井家に残る武器、武具については、定期的に展示会を行ってくださっているのですが今回は名物「松井江」という、現在佐野美術館に収蔵されている刀の「元々の鞘」が展示されていたためか、いわゆる刀剣がお好きな皆様も数多く来場されていたような印象があります。
そして、中には「元々は朱鞘だったことを初めて知った」という方もいらっしゃいました。はい、ぜひ、ぜひ!! 松井家を上司と仰いでいる(???)私からぜひ!! 上から目線みたいになってしまいますがぜひ!! この機会にぜひ!! 覚えておいてほしいこの流れ!!!
松井江は元々朱鞘(現・松井文庫所蔵)に納められていたとされており、持ち主は松井家初代の松井康之と伝わっているそうです。最初の持ち主は康之様ということです。
康之は嫡子・興長(長岡佐渡)へ譲り渡し、この興長、あるいは更に息子の寄之の時代に、朱鞘に所有者を示す『長岡式部少輔』が刻まれたとされています。
「興長、あるいは更に息子の寄之」としているのは、松井家の歴史の中で『長岡式部少輔』と名乗ったのはこの二人しかおらず、また二人はわずか5年の差で亡くなっているため、はっきりとどちらの所有を示すものであるか分からないとのことです。
朱鞘を作らせたのが康之なのか、それとも息子興長、はたまた寄之なのか……まだ疑問の残るところでもありますが、少なくともこの朱鞘は松井家に松井江があったと証明する品であり、細川家臣時代の松井江を象徴するものだと考えると、なんだか素敵なロマンが詰まっていると思いませんか……?
これらの事柄・由来については未来の森ミュージアムから出ている図録にて記述を確認できますので、以下にタイトルとページ数を記載しておきます。気になる方は、ぜひ直接ご覧になってみてください。
ちなみに、松井家三代目の寄之は細川忠興の末子にあたり、子が出来なかった興長夫妻の養子として松井家に入りました。生まれは元和三年(1617)正月十三日に豊前でということですから、江戸時代の人なのですね。生母は一色義有の家臣・真下元重女「才」という女性です。家督相続は、興長が亡くなった1661年のことで、この時45歳。それから5年後に亡くなりますから、少し早い死だったとも思えます。
緋黒羅紗段替陣羽織(の復元)の話
また、今回は特別展示にあわせ、親の顔より見た興長様の陣羽織の復元(学芸員さんたちの手作り!!)も拝見してきました。
なんと、この復元陣羽織の構想(着想)自体は、遡ると平成4,5年の頃になるとのことで……エッ!?? すごすぎるその情熱……ッ最高……俺たちにできないことを平然とやってのけるッ!! だから八代ミュージアムさんはやめられないんですよ! 大好き! 最高! 私もこの陣羽織作りたい!!
新聞紙で型紙を作って、百均で材料揃えて……というあたりがもう、学芸員というお仕事のいろいろな大変さや、地道な努力を本当に感じてしまって、ありがとうございますしか言えません。ありがとうございます。お忙しい中、皆様の努力と情熱と思いがあったからこそ、私たちは楽しみながら歴史を知ることができます。ありがとうございます。
ここからは私が気になった展示品のメモ。
博物館内なので、走り書き+えんぴつ=自分以外が見にくいことこの上ないものですが……。
午前中から行けましたので、じっくりじっくり見てきました。松井を全身から浴びる瞬間の心地よさったらないわ。久々に松井充をして頭が柔らかくなったのでしょうか、展示物を見ていて、あれこれと疑問も浮かんできました。自宅に帰ってから調べることが溜まっていきます。
今回、一番「!?」となったのは松井家が使用している家紋のこと。
4.百矢台
ここにある家紋……なんだこの開いた笹の紋は。見たことないぞ!? などと思って帰宅後に調べましたが、普通に松浜軒のチケットに描いてある紋やないかい! 今まで気づかなかったの!? バカバカッ!
松浜軒のチケットに描いてあるということは、少なくとも本家(か、本家に近いところ)で使われていたもの? 替え紋みたいな感じか? 私が松井の紋として認識しているのは「竹輪に九枚笹」なのですが、他にもこれと異なるものを見つけました。
41.三ツ笹紋馬験
この馬験は非常に大きなもので、本陣などに置かれたものではないかと推察しました。
こちらに描かれた「笹」紋は、丸に三枚笹? 少なくとも「竹輪」には見えませんでしたし、私の中では「これは九枚とは言わないのか……?」とハテナが浮かんだのですが、「三枚」と記されているからには、三枚笹なのでしょう。
他にも展示物を見ていると、ところどころ「三ツ笹紋」に対して「松井家の家紋」と記載しているキャプションがあり、学芸員さんたちの中では松井家の正式な家紋(の一つ)という認識が伺えます。残念ながら、会場に学芸員さんがいらっしゃいませんでしたので詳細はお聞きできなかったのですが、近いうちに自宅の資料などを確認して、松井家の家紋について自分なりにまとめてみたいなと思います。すぐ忘れちゃうから次の記事への宿題にしよう。
参考までに紋の見本サイト ↓
35.原城包囲図
島原の乱当時、各大名家がどのように配置されていたかが分かる包囲図です。細川家臣として気になるのは、やはり細川家の武将たちが配置された場所(位置)でしょう。
隣が立花家、一番離れたところに黒田家があるのもポイントが高いです(ポイントとは?)知恵伊豆、めちゃくちゃいい配置にしてくれたよな……細川と黒田は隣にせず一番離れた場所へ、細川の横に立花を置いておくという神采配。これには京都でウンウン唸っていた三斎様も大満足だったことでしょう(※読み流してください)まあなんともオタクの心をくすぐる包囲図です。絵図左上には鍬形指物が描かれており、これは細川忠利の指物だったことから、彼(もしくは彼の本隊)が城の最も近い位置まで攻め込んでいたことが伺えます。
36.栗色革包胴紺糸射向紅糸威具足
武具甲冑とか刀とか、どうしてめちゃくちゃ長いそのまんまな名前つけてるんでしょうね。それ以外に表現方法がないからっていうか、あいまいな言葉だと文化財の区別を付けづらいから特徴をそのまま名称とするっていう理由なんだろうなと思っていますが(前置き)
これは当世具足、つまり室町末期から江戸初期にかけて流行した形の甲冑です。「具足」とは「それ一式ですべて足りる」という意味があるそうです。全体的に黒色でまとめられ、実用性に富んだ工夫を凝らされているのはまさしく忠興様が好んだ機能美と言えるでしょう。(栗色とあるので、当時はもう少し濃い茶色だったのが退色したのかもしれません)彼はこの甲冑を息子忠利へ譲ったと伝わっているそうですが、最も注目すべきなのは品名にもなっている「射向紅糸」の部分。
この具足は胴、草摺と、紺色の糸で威が付けられています。もうちょっと簡単に言うと、甲冑のパーツを組んでいる糸が紺色の紐ということです。
ですが、草摺の部分で「射向」にあたる箇所だけが、紅色で繋げられているのです。また、その部分のパーツは金箔で飾られており、全体を見た時にそこだけ輝くようなコントラストが生まれているのです。
「オシャレさんか!? オシャレさんなのか!? 細川忠興ってばオシャレさんなのね!?」
そうなんです、戦国で一番のオシャレボーイが細川忠興様なんですね!!
射向とは、鎧の左側の部分を指し、弓を射るとき左を敵に向けるところからその名が来ているそうです。
何も草摺の一部分だけを呼ぶわけではないみたいなんですが、弓を構えた時、自然と上半身はごちゃごちゃ隠れてしまいますから、腰から下の、敵に体を向けた時に見える部分の色合いだけを変えたのだと考えると、まあなんて洒落の利いたハイセンスな装いなんでしょうか! 機能性だけではなく、造形美まで兼ね備えているなんて!!
今回出ていた甲冑の中で、私は一番こちらが気に入りました。忠利さまに譲られたものが松井家にあったということは、後の代になって松井家に譲られたのか、それとも細川家が預けたりしたのか……いろいろと来歴も気になるところですが、とにもかくにもハイセンスの塊です。
まだまだたくさんあるんですが……
きりがないので、とりあえず記事のまとめに入ります。令和5年度冬季特別展覧会「武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~」は、2024年3月24日(日)まで。またギリギリに行ってギリギリに記事を書くという体たらく、誠に申し訳ございません康之様……!
本当にね、もっとあるんですよ、石垣原の時の首取ったリスト(これ大好き)とか忠利様直筆書状で興長さまに「イノシシ二頭仕留めた♪おもしろ♪」って書いてるやつとか、もういろいろあるんですけど以下略
松井家、松井家に伝わった数々の宝物、そしてそれらを守る松井文庫や未来の森ミュージアムの魅力と素晴らしさが、私の勢いと文で少しでも伝われば嬉しく思います。