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『利休随一の弟子 三斎細川忠興』
タイトル:利休随一の弟子 三斎細川忠興
著者:矢部誠一郎
ジャンル:茶道、歴史
発行年月日:2014年12月25日
発行元:宮帯出版社
備考:利休に一番近いとされた大名茶人細川忠興(三斎)。
織部・遠州のような独創性を求めず、武人として武家の茶の湯を大成したとされる忠興の茶を、歴史の一ジャンルとしての思想史の対象として取り上げ、史料に沿って論じながら、著者の新知見を開陳する。
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感想
現代における茶道とは、我が国における文化芸能の一つであり、伝統でもある。その歴史は古く、始まりは鎌倉時代、やがて武士の世で政治と切っても切り離せぬひとつの技術として花開き、やがて江戸幕府の中で統制されつつ現代に至る。伝統文化、芸能文化というものは人の世の中で生み出され、人のあり方と密接に関わるのだろうと私は考える。
この本は、著者によると『三斎公の「生活の中における茶の湯」』に迫っている。芸事、教養としての茶事以外に、三斎公の大名としての茶、つまりは政治的側面や戦の中における茶事にも目を向けているということだ。三斎公はご存じのように、室町時代末期から江戸時代初期にかけて、戦乱における武士を体現したかのような人であった。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と戦乱の綺羅星たちの元で成長を続けていった。父親である細川幽斎公は足利将軍家家臣の家柄であり、生まれからして三斎公は武士であることが当然で、なおかつ武士である生き方をどこまでもストイックに追求し続けている人であったように感じる。そんな人が行った茶事、求めた茶の湯というひとつの芸能技術を、どのように見つめていくのか。
細川三斎を評価する時、世人は何と言うであろうか。右に挙げた茶人達への評価のように、ある一語で語られることもなく、特筆すべき精神的な教えを残しているわけでもない。何人かの大名のように茶道具の収集に血道を上げた形跡もない。数多くの弟子を育てたということもないのである。それではなぜ、利休七哲に名を連ねて、日本の茶の湯史上に名を残しているのであろうか。
筆者は細川家御家本である『綿考輯録』などから引用、あるいは永青文庫等に残される資料を参考にし、三斎公の茶事へと迫る。また、三斎公の周囲にいた茶人、利休七哲はもちろん、己の家老である松井康之や父・幽斎等も引き合いに出し、武士として、あるいは一人の茶の湯をするものとしての姿を考察されている。
三斎公の時代は戦国時代だから、戦が切っても切り離せないのは当たり前だ。むしろ、武人としての姿を語らねばならない、といっても過言ではないだろう。よく耳にする逸話も血なまぐさいものが多く、短気と評されることもある三斎公だが、もちろんそれだけで彼の内面を想像することはできない。美的感覚やある意味頑固なまでの礼節作法といった一面はなかなか表に出ることなく、それは彼の茶の湯とも関わりのあることだと思う。
「茶人である細川三斎」の姿を追いたい人、武人である以外の面を知りたい人にはぜひおすすめしたい一冊。三斎公と同時代の茶人や関わり合いについても情報が多いため、そちらを求める人にも。
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