「看護婦教育所創設之地」(日本最初の看護学校発祥の地)
日本最初の看護学校も高木兼寛が創立
★ジャンル【病院】【学校】
★場所 港区西新橋3−25−8
★最寄駅 都営三田線御成門駅
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★碑文
「明治十七年十月東京慈恵会医科大学学祖高木兼寛米人リード女史ヲ聘シ有志共立東京病院構内ニ看護婦育成ノ業ヲ興ス。是本邦斯界ノ靉靆タル暁雲ニ赫耀ノ配セルヲ観ルニ庶シ。創始ノ百歳ヲ記念シ此碑ヲ建ツ」
★解説
慈恵医大病院建物群の日比谷通り側一角に慈恵看護専門学校があり、その玄関前にあります。
慈恵医大を創設した高木兼寛(たかぎ かねひろ)は看護教育にも熱心でした。彼が学んだロンドンの聖トーマス病院医学校にはナイチンゲール看護学校が併設されており、高木は医療の中での看護の重要性を、日本でも最も早く認識していました。「病気を見るな、病人をみろ」との言葉を残した高木ならではの考えです。
当時の日本はドイツ式医療を手本に進むか、イギリス式医療を手本に進むか、まだ混沌とした時期でした。陸軍はドイツ式、海軍は高木の持ち込んだイギリス式で、学理中心のドイツ式、患者本位のイギリス式という面もありました。東大がドイツ式となり、最後はドイツ式が優勢となって今もカルテはドイツ語で書かれるようになるのですが、さてどちらがよかったのでしょうか。
高木は1885年(明治18年)4月1日、彼が設立した有志共立東京病院に、開院わずか3年足らずで看護婦教育所を併設し、アメリカから看護師のメアリー・E・リードを招き、日本最初の看護学校を造りました。リードはアメリカ長老派の宣教看護師で、ナイチンゲール式の看護教育を受けていました。なんと2年もの間、無給で務めていたと言います。
また開設が資金難から進まずにいたところ、自らもアメリカ留学中に看護
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