九段精華学校1

「九段精華学校発祥地」

空襲で焼け、廃校となった女子学校

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区九段南1−6−12
★最寄駅 東京メトロ、都営九段下駅

★碑文
なし

★解説
 千代田区役所向かいの千代田区「かがやきプラザ」脇、堀に面した裏にあります。
 この九段精華学校についてはあまり資料がありません。開校は1905年(明治38年)で、旧幕臣で彰義隊にも加わった寺田勇吉(てらだ ゆうきち)と、長野県出身の湯本武比古(ゆもと たけひこ)が精華学校として設立しました。寺田は維新後教師から文部官僚へと進み、一橋大学の前身である高等商業学校校長などを務めます。湯本もほぼ教育者として務め、大正天皇の幼少期の教育係もしました。
その後1911年(明治44年)に九段精華高等女学校が開校し、のち女子校のみが残りました。
 この女子校は1945年(昭和20年)の東京大空襲の際に全焼し、この時点で校長は廃校を決めたようです。生徒らは再建を願ったようですが、校地は米軍に接収されて再建はならず、学校は消滅しました。
 しかし同窓会と廃校時に残った学校の財産を元にした財団は残り、この碑

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