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なんと兜町に住んでいた栄一---23区渋沢栄一ゆかりの地

2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は私のお気に入りの大河ドラマでした。しっかりした考証を背景に、日本の近代化に大きく貢献した渋沢栄一の生涯を描きました。2024年、渋沢は新1万円札の顔となります。ドラマの放送をなぞりながら、23区内などの渋沢栄一ゆかりの地をご紹介していきます。

23区 渋沢栄一ゆかりの地案内一覧

第32回「栄一、銀行を作る」

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 三井組ハウスを分取って、いや譲り受けて設立された第一国立銀行、いよいよ登場しましたね。CGでしたが色合いがこんな感じなのか、と新鮮でした。モノクロ写真か派手な錦絵しか残っていないので。でもこの場所は前回紹介してしまいました。

 前回の最後で長男の篤二が生まれていましたので、この第32回は明治5年の11月ごろから、母のゑいが亡くなり、さらに小野組の破綻危機を井上馨から知らされる明治7年10月ごろまでを描いています。

 ドラマでは描いていませんが、この間栄一も関係した大改革がどんどん行われています。まず太陽暦の採用です。大隈重信の仕事などとも言われますが、栄一は明治5年の4月に太陽暦の採用を建議して、同年12月3日を明治6年1月1日とし、グレゴリオ暦を採用して西暦と日付を一致させました。
 これはそれまでの太陰太陽暦では時々閏月が入って1年が13か月になり、年度会計や月給などの支払いで不具合が生じることや、西洋との貿易の利便上の都合が大きな理由でした。
 また明治5年の9月には新橋ー横浜間に鉄道が開通し、栄一も開業式に参加しました。
 さらに公務ではありませんが、幕末のパリ滞在などについての見聞を杉浦譲と共に著した「航西日誌」を出版します。大河では杉浦は志尊淳が演じてますね。杉浦はこのあと全国測量に熱意を燃やし、地理局長になります。
 また前回、神保町の渋沢邸を突然西郷隆盛が訪問していましたが、この訪問も史実です。内容は西郷の縁故の者からの陳情でしたが、新政府最高実力者の参議が格下の栄一の家に、よく知りもしない内容の陳情に訪れるとはおかしいですね。裏がありそうです。
 栄一はあっさりその願いを拒否し、参議たるものそんな小事より国家のことを考えるべきだと意見しますが、栄一はのちに「西郷は『頼み事をしに来たのに怒られた』と笑っていた」と書いています。
 過去の回で、京都の一橋家家臣時代に西郷と会って豚鍋を突いている場面がありましたが、これも史実。何回か栄一はご馳走になったようです。どうも二人は気が合っていたようですね。記録にはないですが、ドラマで描かれたような会話や、もっと他にも天下国家のことが話し合われたのかもしれません。
 それからドラマでは「洋紙がもっと必要だ」と栄一がつぶやくだけでしたが、現在の王子製紙の元となる抄紙会社の設立も明治5年に決めています。工場の完成は1875年(明治8年)です。
 そして娘の歌子が「皇后さまが学校に来た!」と喜んで話し、皇后がカイコを育てていることを話しましたが、この経緯も連載の3回目で詳しく書きました。栄一の業績ですね。

 さて、この回で登場した場所で具体的に紹介できる場所がまたまた少ないのですが、ドラマでは描かれていませんが、官を辞めた直後に栄一はまたまた引っ越しをします。もう大蔵省に近い必要はないし・・・。さてどこに引っ越したのか?

これより有料です。以下には三井ハウス所在地のほか、この間転居した邸宅跡についての記事全文、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「『青天を衝け』23区渋沢栄一ゆかりの地案内」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数十本の記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

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