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「運上所跡」(東京税関発祥の地)

遅れて発足した東京の税関

★ジャンル【社会】
★場所 中央区明石町14−19
★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「江戸幕府は、慶応3年(1867年)に、 江戸築地鉄砲洲明石町の一帯を外国人居留地と定め、この地に税関業務等を行う運上所を設置しました。これが、東京税関の始まりです。」

★解説
 勝ち鬨橋から隅田川沿いに少し北へ入った閑静な場所に、高級料亭「つきじ治作」があり、その門の脇に碑が建っています。敷地としてはまさに治作の土地が運上所、のちの東京税関でした。別項で紹介した「電信創業之地」はここと横浜の連絡のためのものでした。100メートルほどしかはなれていません。
「東京税関」発祥の地、ということで「税関業務発祥の地」ではありません。ご存知のように江戸が最初の開港場ではなかったからです。徳川幕府が最初に運上所を開いたのは1859年(安政6年)のことで、まず開港場に指定された長崎・神奈川(横浜)・箱館(函館)の3か所に置かれました。最初の開港地は1854年の下田と箱館でしたが、この時はまだアメリカと和親条約を結んだだけで、貿易については取り決めをしておらず、貿易のための役所もなかったのです。
 さらに新潟、神戸と開港し、江戸は開港場ではなく開市という位置づけでその後でした。時期は1867年10月と幕府崩壊直前となってしまいます。
 「税関」という名になったのは 1872年(明治5年)からで、しかもここは横浜税関の東京支署となります。別項でも書きましたが、東京には多くの外国人商人は住もうとせず、さらに国防上の理由から大型船が東京に近づかないようにしたいため、明治政府は東京港の整備をしませんでした。港の浚渫

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