「日本初の民営洋式造船所 発祥の地」
活版印刷の平野富二が転身して設立
★ジャンル【産業】
★場所 中央区佃2-1-2
★最寄駅 東京メトロ有楽町線月島駅
これまでの23区発祥の地一覧
★碑文
「米国ペリー艦隊が来航した1853年(嘉永6年)幕府の命を受けた水戸藩がこの地に石川島造船所を創設した。同造船所は洋式軍艦「旭日丸」をはじめ、日本人によって設計、建造された最初の蒸気軍艦「千代田形」など数多の艦船を次々と建造、造船技術を通じてわが国産業の近代化に大きく貢献した。明治維新後の1876年(明治9年)平野 富二によりわが国初の民営洋式造船所として再スタートし、その後1889年(明治23年)には渋沢 栄一などの協力により会社組織となり、有限責任石川島造船所、株式会社東京石川島造船所の社名の下、明治から大正・昭和にかけて多くの軍艦・商船を世に送り出してきた。この地での造船事業は1939年(昭和14年)の造船部門の東京深川区豊洲への移設によって幕を閉じた。その後、石川島重工株式会社、石川島播磨重工株式会社と社名が変更される中で、当地は日本屈指の重機械類の専門工場として活躍してきたが、1979年(昭和54年)の工場大移転により、その長い歴史を終えた。」
★解説
月島の超高層マンション、リバーシティ21イーストタワーズ2とセンチュリーパークタワーの間の堤防側の林間にあります。
ペリー来航で日本の国防、特に海防が脆弱であることを悟った幕府は、大船建造禁止令を緩めたり、オランダから軍艦を輸入したりして海防強化を図ります。当初は江戸沿岸地区を担当していた幕府代官江川英龍(えがわ ひでたつ)が造船所を造るする計画でしたが、江川は江戸湾防備のお台場建設に忙殺されており、軍艦建設まで手が回らないと水戸藩に建設が命じられます(しかし江川はその後激務から体調を崩し亡くなります)。
水戸藩は隠居ながら前藩主として実権を握っていた徳川斉昭(とくがわ なりあき)が強硬な攘夷論者でありながら西洋軍事技術は極めて積極的に取り入れており、すでに密かに小型洋式船の建造も行っていました。建造は幕府の人足寄場があった石川島で進められることになり、1855年には船体が完成します。
しかしながら進水時に不手際から直後に浅瀬に乗り上げ横転してしまいます。「動かざる御代は動きて 動くべき船は動かぬ 見と(水戸)も無き哉」と江戸っ子に馬鹿にされます。それでもなんとか復旧させて艤装し、1856年に完成させたのが旭日丸です。
ただ完成時には純粋帆船はすでに時代遅れで蒸気船主体の時代となっていました。それでも輸送業務主体に利用され、戊辰戦争も生き延び、明治にな
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