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「神田下水」(東京市内近代的下水道発祥の地)

本当の日本最初は横浜です

★ジャンル【産業・経済】
★場所 千代田区神田鍛冶町2−13−1 神田駅構内
★最寄駅 JR、東京メトロ神田駅

★解説文
 「明治の初め日本各地でこれらが流行し、明治15年(1882年)には東京の神田、京橋などで死者5000人に迫るほどの猛威を振るいました。そのため上下水道などの衛生視閲の改善が急務となり、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケに意見を本江m、日本人技師石黒五十二が設計したのが『神田下水』です。明治17年(1884年)から18年(1885年)の2年間に、延長約4kmの下水管が建設されました。現存する神田下水のうち、一部のレンガ積み管(614m)は、平成6年(1994年)に東京都の史跡に指定されました。また、平成25年(2013年)には、『土木学会選奨土木遺産』の認定も受けました。この施設は、関東大震災や太平洋戦争の戦災をくぐり抜け、1世紀以上経過した今でも、立派に下水道施設としての機能を果たし、地域の皆様の安全で快適な生活を支えています。」

★解説
 以前は神田駅西口を右に出た神田多町通りの。まさに神田下水が埋まっている歩道上に記念碑があったのですが、道路整備で撤去され、現在は神田駅西口改札前に解説板が掲げられています。道路整備はほぼ終了していますが、また歩道上にモニュメント等が復活するかはまだわかりません。
 都の下水道局が設置した解説板なのでかなりお手盛り感強いです(笑)。発祥ということでいえば、「下水道発祥の地」ということでしょう。しかし「我が国初の近代下水道」とありますが、日本初の下水道としてよく紹介されるのは横浜です。横浜の外国人居留地は元々埋め立て地のため排水が悪く、人口が増えると衛生環境が悪化していきました。このため、1869年(明治2年)ごろから下水道の建設を始め、利用されました。
 その後排水の急増から、1881年(明治14年)に拡張工事が始まり、この時に「神田下水」と同様のレンガ積みの卵形下水管が採用されています。ですからこのレンガ積み下水に限ってみても、横浜の下水の方が2年も早いのですね。ですから

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