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「渋谷区近代学校教育発祥の地」(渋谷小学校発祥の地)

渋谷区最初の小学校は渋谷駅前にあった

★ジャンル【学校】 
★場所 渋谷区渋谷2-20-11
★最寄駅 渋谷駅

これまでの23区発祥の地一覧

★解説文
「明治八年(一八七五)三月十五日に開校したとされる旧渋谷小学校は、中渋谷村の三井八郎右衛門、森島伝兵衛、野口清右衛門、鈴木喜代次郎などが中心となって、校舎の建設に尽力し、成富清風が提供した中渋谷二番地(明治通りと宮益坂の接するところ)の四百五十一坪の土地に校舎を建てたのがはじまりとされています。明治五年の新学制に基づき第一大学区第三中学区第十九番渋谷学校という名で開校しました。渋谷区地域に初めてつくられた公立の小学校で、当初教員は校長を含め三人、生徒は八十四人であったといいます。学校の維持費は、明治十二年の町村制施行によって村独自の予算をもって賄うまで、その捻出に困り、その維持費は宮益坂下の三井八郎右衛門の水車の利益をもってこれにあてたといいます。その後、渋谷小学校は平成九年四月に生徒数の減少などから大和田小学校・大向小学校と合併することが決まり、その長い歴史に幕を下ろし、神南小学校として生まれ変わりました」

★解説
 渋谷の宮益坂下、ほぼ明治通りとの交差点に近い南側の歩道上にあります。
 明治の初年の教育制度の確立に伴って各地域に公立学校が設置されるわけですが、渋谷区ではこの渋谷小学校が最も古い小学校ということで、ここに解説版が設置されたようです。区によって色々ですが、場所が変わった小学校や伝統ある小学校にはみな「創立地」の碑などが置かれる区がある一方、渋谷区ではここだけです。
 しかしいきなり三井八郎右衛門(みつい はちろうえもん)と、すごいビッグネームが出てきますね。「中渋谷村の」とありますが、三井家の邸宅は現在の六本木2丁目、アメリカ大使館宿舎の地にありましたので、中渋谷村とどういう関わりがあったのかはよくわかりません。後段に水車を所有していた、と書かれているのでその縁かもしれません。
 他の人物についてはよくわかりません。成富清風は佐賀藩出身の官吏だったようです。他の地域でも最初の学校設立については、土地の有力者が資金を出し合う場合が多かったようです。明治政府は学校は作れ、と命じますが、財源がないのであとは地域任せです。
 開校の場所ですが、どうやら今は宮益坂下の交差点の中、あるいは再開発工事が進むロータリーあたりのようです。他の地域でよくあるように、寺院

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