鹿児島藩島津家上屋敷(セレスティンホテルなど)1
整備され「さつまの道」に
72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位)
所在地:港区芝2、3丁目など
最寄り駅:都営三田線芝公園駅
徳川幕府が最も恐れた大名家が島津家。鎌倉時代以来薩摩を支配し、表石高72万石は前田家についで第2位。関ヶ原で敗戦したにもかかわらず所領は減らされなかった。
島津家の屋敷で問題になるのは上屋敷がどこかということ。切り絵図などでは最大面積の芝を上屋敷とし、参勤交代の際、藩主はここに住んだ。しかし幸橋御門内の屋敷を上屋敷とする資料もあり、実際扱いが入れ替わったりしたらしい。幸橋門内の屋敷は江戸城に近いが、島津家の家臣数や格を考えると狭く、装束屋敷などと呼ばれたように、藩主の江戸城途上の際に身支度を整えるなどの目的で使われ、機能としての上屋敷はやはり芝だったと考えられる。
面積は2万2000坪。ちなみに表題は鹿児島藩とした。薩摩藩の方がなじみが深いが、版籍奉還時の政庁所在地を藩名とするのが正式なため。
1)さつまの道
旧上屋敷中心地は再開発され、広々とした遊歩道「芝さつまの道」として整備されている。中心部にはこのような立派で詳細な案内板が建っている。都内の大名屋敷跡でも最も充実した部類の案内だ。
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