「立正佼成会発祥の地修養道場」
初代副会長が創立後住んだ場所
★ジャンル【宗教】
★場所 杉並区和田1-15-1
★最寄駅 東京メトロ丸の内線中野富士見町駅
★解説文
「〈妙佼殿〉脇祖さま(妙佼先生)は、「汝がこれより住居を定める地は和田本町である。住居とする家はすでにその地にある」とのご神示をうけ、昭和16年9月、当時杉並区和田本町の畑の中に建っていた平屋建ての一軒家(21坪)にお住まいになられました。その家が「妙佼殿」です。間取りは、八畳、六畳、四畳半、三畳で、八畳間は「ご宝前」の間、六畳は妙佼先生の居室、四畳半は幹部の詰所、三畳は玄関として使われていました。その頃、信者さんが激増してこの境内に参拝者が毎日沢山いらっしゃって身動きならぬようになって参りました。
〈本部道場〉昭和16年11月5日、「妙佼殿」にて御命日のご供養の席上、道場建設が満場一致で発願されました。その直後、脇祖さまに、「何をいまごろまでぐずぐずしているのだ。早く手配をしないと建てられなくなるぞ。」というご神示がおりました。すぐさま脇祖さまの新居の隣接地を購入、現在の「発祥の地」の敷地(境内)が確保されます。11月8日に地鎮祭が挙行、建設が開始されます。昭和17年5月7日、真夜中の12時から1時の間に中野区神明町36番地の開祖さまのご自宅から、御旗・御守護尊神が遷座されます。本会最初の本部道場落成を迎えるに至り、同時に開祖さまの妻子がこの本部道場に住まわれることになります。現在の「発祥の地記念碑」の場所で、坪数25坪の本会最初の拝殿となりました。そしてこの年、新築になった本部道場で横須賀の植松喜久氏が初の体験説法をされています。その後、昭和20年11月15日には本部道場のご宝前に、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」が尊牌形式で勧請されます。
〈修養道場〉また、会員激増のために「本部道場」では狭く、新たに保谷にあった建物を購入、移築し「本部修養道場」とします。昭和23年12月28日に入仏式を挙行、明けて昭和24年1月28日、「修養道場」の落成式を行います。これが現在の120畳の「立正佼成会発祥の地修養道場」です。このように,会草創期には、昭和16年に「妙佼先生のお住まい(妙佼殿)」、昭和17年に最初の「本部道場」、昭和24年「修養道場」と宗教施設が整い、信者さん達は毎日のようにご法を求めて参拝され、幹部さんからご指導をいただいていました。昭和26年には、第二修養道場の落成をうけて「修養道場」の名称を「本部拝殿」と変更し、昭和39年の大聖堂落成後は「旧本部」と呼んでいました。その後、昭和63年の創立50周年を期して「立正佼成会発祥の地修養道場」と呼称しています。なお、最初の25坪の「本部道場」の建物は、昭和26年10月に佼成霊園に移築されています」
★解説
東京メトロ丸の内線中野富士見町駅から神田川を渡り、西に3分ほど向かった「和田一丁目」交差点角にあります。この角は全部立正佼成会の施設です。
この場所には碑があり、そこには「立正佼成会発祥之地」と書かれていますが、近くの解説版は「立正佼成会発祥の地」で、解説文を読むと正式名称は「立正佼成会発祥の地修養道場」ということのようなのでそのように表記します。
立正佼成会は、1920年に「開教」した霊友会に1935年に入会した庭野鹿蔵(にわの しかぞう)と、庭野の勧めで霊友会に入った長沼政(ながぬま まさ)が、当時の霊友会会長との路線の違いから1938年に分かれて創立しました。
「立正」の名でわかるとおり、立正佼成会は仏教・日蓮宗系の新宗教団体です。創立後、庭野鹿蔵は庭野日敬(にっきょう)、長沼政は長沼妙佼(みょうこう)と改名しました。会の名は創立当初は「立正交成会」で、1960年に佼成会と変えられます。二人は発足当初は会長等ではありませんでしたが、1943年にそれぞれ会長、副会長になります。現在は庭野日敬開祖、長沼妙佼脇祖(わきそ)と称されています。
1938年の創立当初は、本部は庭野が経営していた牛乳店でしたが、会では1941年から長沼が住んだこの地を発祥地としています。
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