「近代教育発祥の地」(筑波大学、お茶の水女子大発祥の地)
「教員教育発祥の地」の方がふさわしいかと
★ジャンル【社会】
★場所 文京区湯島1−5−45
★最寄駅 JR、東京メトロ御茶ノ水駅
★解説板内容
「江戸時代、学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部、昌平黌跡である。寛政9年(1797)現在地に学寮、宿舎が建てられ、旗本の子弟や全国から藩士の子弟が青雲の志を抱いて集まった、昌平坂学問所である。明治維新後、政府に引継がれ、昌平学校、大学校、東京大学と発展していった。明治5年(1872)に文部省が誕生し、我が国学校教育の原点となった。明治5年師範学校が設置され、この地に後の東京高等師範学校、東京女子高等師範学校が置かれたが、前者は明治36年大塚窪町に移転し、後に東京教育大学(現筑波大学)となり、後者は昭和7年大塚に移転し、後に新制大学として発足の折、この地名を校名に冠し、お茶の水女子大学と称し現在に至っている」
★解説
聖橋の北側の橋詰、東京医科歯科大敷地脇にあります。
この解説板は該当地を(湯島聖堂・東京医科歯科大)、住所をその敷地としています。江戸時代からの昌平黌引き継いだ昌平学校、大学校を近代教育の発祥と見なしているようですが、それは私には疑問です。というのは別項でも書きましたが、この大学校は儒学派と国学派の抗争で全く機能せず、すぐに廃校になってしまったからです。解説板には「東京大学と発展していった」とありますがこれは嘘です。これも書きましたが、東大の直接の源流は文系の大学南校と医系の大学東校で、これは昌平黌とは系統が異なります。南校と東校は「近代教育」の名に値しますが、国学と儒学という古くさい権威の闘争に明け暮れた大学本校はとても「近代」ではないでしょう。
教育行政を大学校から取り上げて文部省が設置されたのが1871年(明治4年)で、ここから明治政府の近代教育システムの構築はようやく始まったと言えます。
すると今度は学校で教える教師の養成が重要になってきます。校舎だけ作っても教師がいなければどうしようもありません。その教員養成機関として開校したのが「師範学校」で、開校は1872年(明治5年)、この地でした。ですからこの場所は「近代教員教育発祥の地」というべきではないでしょうか。場所は医科歯科大の敷地のみが対象となると思います。
翌年全国各地に師範学校が設立されると、「師範学校」は「東京師範学
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