「明治学院発祥の地」
「ヘボン式ローマ字」のヘボンさんが創立
★ジャンル【学校】
★場所 中央区明石町7−20
★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅
これまでの23区発祥の地一覧
★碑文
「明治学院は1877年(明治10年) ここ旧築地17番地に開設された東京一致神学校を基とする これを記念しこの碑を建てる」(表)
「1877年(明治10年)旧築地17番地のこの地に東京一致神学校が建てられた。これが現在の明治学院となった。この神学校は横浜にあった米国改革境界のブラウン塾の流れをうけ、米国橋郎境界のヘボン博士、タムソン博士、フルベッキ博士らの協力とスコットランド一致長老教会の参加により三派合同で建設されたものである。明治学院50年史に『赤煉瓦の平家造りで、屋根はフランス瓦で葺き、4、5段の石階を登って玄関に入るという見るからに小じんまりとした建物であった』と記されている。1887年(明治20年)東京一致神学校は、ヘボン塾、バラ学校、ワイコフの先志学校などの流れをくむ東京一致英和学校および英和予備校と合併して『明治学院』の名のもとに東京府荏原郡白金村字玉縄台(現在の港区白金台)に移転した。」(裏)
★解説
居留地中央通りから一つ隅田川寄りの大通り、女子聖学院発祥の地の碑のさらに少し南、駐車場となっている敷地の一角に白いフェンスに囲まれています。地味で、早足で歩いていると見逃しそうです。
明治学院大学の起源は古いです。大学の起源をいつからとするかは難しいのですが、歴史を辿っていくと明治学院は最古級で、順天堂、慶應義塾に次ぐぐらいの古さです。しかしその流れは複雑です。
まず1863年(文久3年)にジェームス・カーティス・ヘボンが横浜に開いた「ヘボン塾」というものがあります。ヘボンはご存じローマ字による日本語音表記、ヘボン式を考案した方ですが、今呼ぶなら「ヘップバーン」さんですね。「ヘボン」の音はヘボン自身が当てたようで、漢字では「平文」と名乗りました。
ヘボンが日本に来たのは、米国長老派教会の宣教医師として、1859年に派遣されたためです。神奈川宿に診療所を設け、医療活動、布教活動を始めます。同時に和英辞書の刊行にも取り掛かります。この時に日本語の発音を表現するために考案したのが「ヘボン式」表記です。
ヘボンの専門は脳外科でしたが、当時日本では治すことが難しかった眼病
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