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「東京水道発祥の地」

巨大浄水場だった西新宿高層街

★ジャンル【産業】
★場所 新宿区西新宿2−6
★最寄駅 都営大江戸線都庁前駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「首都東京、この大都市の発展のかげには、古くからその生活をささえる水の確保に大変な努力がはらわれてきた。すでに300年も前の江戸時代初期(1654年)、ふくれあがる江戸の水不足をまかなうため、玉川上水が開かれ、江戸からおおよそ50キロメートルも離れた羽村から玉川の水が市中に引かれた。時は変わって明治となり、首都が東京に移されるや発展する都市に不可欠な近代水道の建設が急務となった。そして、明治23年(1890年)、ここ旧東京府南豊島郡淀橋町に34万平方メートルの敷地を求め、玉川上水によって導かれた多摩川の水をここで沈でん・ろ過のうえ、200万人の市民に上水を供給できるという、当時としては、画期的な規模の淀橋浄水場が建設されることとなった。明治31年その一部が完成し、神田、日本橋地区へ給水が開始され、ここに東京の近代水道が誕生した。以後、明治、大正、昭和と東京の歴史とともに歩み続けた淀橋浄水場は、昭和40年(1965年)東村山浄水場にバトンを渡し、給水開始以来60数年の歴史を閉じ、その跡地は、新しい東京の象徴ともいうべき超高層ビルの街に生まれ変ることとなった。ここに展示されているものは、内径1、000ミリメートル蝶型弁といい、かつて淀橋上水場で使用されていたものである。東京は、今、この超高層ビルの街が象徴するように、ますます発展しようとしている。そして、この大都市が必要とする水も、遠くはるか200キロメートルも離れた利根川上流にまで求めている。ここに展示された蝶型弁から、かつてここに都民の水をかなかうため、満々と水をたたえた浄水場のあったことを、想いおこしていただき、あわせて大都市における水がいかに大切なものであり、またその確保が大変困難なものであることをご認識いただれば、はなはだ幸いです」

★解説
 長い碑文です(笑)。
 新宿駅西口、住友三角ビルの三角広場内にあります。昔は野ざらしでしたが、最近の改修で屋根の下になりました。
 かつて新宿西口街区にあった淀橋浄水場については、周辺に様々なモニュメントがあります。三角ビルの駅側手前、エルタワー裏の植え込みには淀橋浄水場跡の碑があります。かつての正門跡です。また新宿中央公園の六角堂は、浄水場内にあった展望台で、敷かれた煉瓦は浄水場で使われていたもの。南に行って、文化学園などが建つかつての京王線線路敷跡の歩道にも、浄水場の煉瓦を再使用したモニュメントがあります。
 これもそうしたものの一つですが、「発祥の地」と明示してあります。また浄水場で使っていた機械部品を保存展示しているのがユニークな点です。この部品は言ってしまえば大きな蛇口のようなものです、大量の水を流したり止めたりするためのものでした。
 説明文にもあるように、江戸時代の江戸の飲み水の多くは多摩川から水を引いてきた玉川上水でまかなわれ、維新後もほぼ変わらず使われていました。しかし維新後は上水の管理がおろそかになり、船を浮かべたり、ゴミを捨てたりするようになりました。
 こうしたこともあって東京市内にはコレラが何回も大流行し、何万という人が死にます。しかし明治政府は軍備拡張などに予算を取られ、いっこうに

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