外堀遺構が残る文科省
23区全区境踏破第15回
前回、文部科学省の前まできました。
左に進んで虎ノ門交差点に行くと、左手前角に虎の像があります。「虎ノ門遺址」の碑で、1949(昭和24)年に「虎ノ門」の名が初めて町名に採用されて3年になったのを記念して港区側の住民が建てました。
はい、ここは港区なのですね。そして碑には「ここに虎ノ門があった」というようなことが書かれていますが、実際は先ほど左に曲がった場所、にありました。
そちらに戻って右手の横断歩道を渡って文部科学省側に渡ります。この建物は戦前のものです。渡って左に曲がるとすぐに文部科学省の正門です。「スポーツ庁」との看板がかかりますがひどい字です。
裏金8000万円問題や、壺を押し売りしていた宗教との関連などで今やどこへ行ったかわからない元大臣の揮毫です。「字は体を表す」などという言い方も最近はあるようですね。右側の「文化庁」の文字は有名書家の揮毫だったもののやはり常人には理解し難い書でしたが、近年穏当な書に変わりました。
と、あまり歴史に関係ないお話をしましたが、実はこの正門前で立ち止まっていただきたかったのです。看板を眺めている歩道の上、大きな石が埋め込まれています。これはなんでしょう?
実はまさにこの場所に江戸城の外堀がありました。もっと正確に言うと、外堀の江戸城側の石垣がここを通り、正門に向かって左側が堀でした。そして振り返って見る桜田通りの真ん中の植え込みあたりに虎ノ門がありました。
さっきの「虎ノ門遺址」の碑からはだいぶ離れていますね。ちなみに「虎ノ門」の名の由来は不明です。普通に考えれば「江戸城の寅の方角?」と思いますが、寅は東北東でほぼ真逆です。
で、区境は前回お話しした通り、外堀の江戸城外側のへりを通っていました。虎ノ門交差点とのちょうど中間あたりです。さてこの文部科学省の中には面白い展示がありますのでぜひお寄りください。「江戸城外堀跡展示室」です。
先ほどの外堀を示す石などは、この文部科学省を改築する際に整備されました。戦前の建物の後ろが高層ビルになっています。これらを建てた時です。以前から文部科学省が外堀の上に建っていることはわかっていたのですが、この工事で発掘が行われ、外堀の状況がよくわかりました。
区境からそれますが、文科省正門左にある通路から中庭に入ります。すると右側には地下にあった石垣の展示と解説があります。その左方向には、正門前にあったのと同じ石が点々と続いています。外堀縁の表示です。
たどっていくと地下をのぞける大きな窪みがあり、大きな石垣が聳えています。この地下空間には左の階段から入れます。エスカレーターでは行けません。地下の部屋には江戸城外堀構築についての詳細な展示があります。
さて区境に戻りましょう。このまま地下を行くか、地上に戻って横断歩道を歩くかして外堀通りの反対側に渡ります。右側、霞が関ビルが見える方に進んで、最初の角を左です。向こう側の角に江藤新平遭難跡の碑があります。
この道が外堀の江戸城外側のへりでした。少し行くと左側に江戸時代から人気だった虎ノ門金刀比羅宮があります。江戸時代は外堀脇の丸亀藩京極家邸内にありました。右側は商船三井などがある虎ノ門三井ビルです。このビルは外堀の上に建っています。
ビルは2棟がL字形に建っており、その隙間は入れますので、少し先の横断歩道で渡って入ってください。
すると外堀通りに面して中庭のような空間があり、地下階の前は広場のようになっています。私はここは外堀が残った空間ではないかと思っています。さらにその脇には、国史跡の江戸城外堀櫓台跡石垣が残ります。近くまで行って触ることもできます。巨大さに驚きます。
外堀通りに出てそのまま進み反対側の特許庁側に横断歩道で渡ります。渡る前に特許庁側を見ると、やや地面が盛り上がっています。これは特許庁の前あたりに溜池を作るダムがあったためです。江戸時代初期に大名の浅野幸長が作りました。
この先は江戸城外堀の一部を構成する「溜池」がありました。構築当初は飲料水用のダムとしても使われました。江戸名所の一つで、しばしば浮世絵にも描かれています。
特許庁前の交差点を赤坂側に渡ると、区境は少し曲がって右へ行き、最初の路地に入ります。この辺りから区境は溜池の北側のへりに移ります。以前あった溜池町は、江戸時代以来赤坂側の住人が埋め立て開拓をしてきたためでしょう。
江戸初期には重要だった溜池も、時代を経ると少しづつ狭められ、明治の終わりには完全にめられてしまいました。路地を出て首都高が上を通るところで溜池交差点側に行くと、角に溜池の碑があります。横断歩道を渡って、先ほどの路地の続きの方向の道へ入ります。首相官邸が近いので、入口に必ず警備の警官がいます。
そして首相官邸裏の交差点、東京メトロ南北線溜池山王駅上に出ます。道路を渡ると右にNTTドコモ本社のある山王パークタワービルがあります。ビル前が区境です。その先に日枝山王権現へのエスカレーター通路があり、そのまま外堀通りを行きます。区境はこの辺りから外堀通り中央になります。
ホテルニュージャパン跡のプルデンシャルビルを過ぎると赤坂見附駅です。右側には赤坂東急ホテルがありましたが、現在は閉館し解体工事中です。その先で区境は国道246号、青山通りを渡ってその先の弁慶堀に入ります。これも外堀の一部です。
弁慶堀からは区境は堀の真ん中を通っていきます。堀を望む外堀通り、紀之国坂を登っていきます。ほぼ登り切ったあたりに右に通路があります。江戸時代は喰違見附という江戸城外堀の出入り口でしたが、ここは唯一城門のない出入り口でした。
通路の向こうは広いグラウンドで、今は上智大学が主に使っていますが、戦後まもなくまでは水をたたえた真田堀でした。堀跡、喰違見附通路のすぐ下あたりに新宿区・港区との3区境があります。
千代田区側は外堀の土塁が残っており、春は桜の名所です。喰違見附から中に入り、上智大学の脇か土塁上の遊歩道を歩きましょう。上智大学の敷地は江戸時代は名古屋藩尾張家の屋敷でした。標柱があります。
まもなく四ツ谷駅です。ついに千代田区を一周しました。見どころが多いのでずいぶんかかりましたがようやく次の中央区です。こちらはおそらく1回で終わりでしょう。なんでそんなに短いのかは次回。