愛国婦人会1

「愛国婦人会発祥之地」

唐津の生んだ女傑創始者の像、今はなく

★ジャンル【政治・社会】
★場所 千代田区九段南1−6−12
★最寄駅 東京メトロ、都営九段下駅

★碑文
「会祖奥村五百子刀自銅像跡の為之を建つ」

★解説
 「九段精華学校発祥地」の碑、「日本体育会体操学校之跡」の碑と並んで建っています。碑の集まるかがやきプラザ建設の際、まとめられました。元はこの敷地にあった千代田区役所脇にあったものです。
 愛国婦人会は戦死者の遺族・戦傷者の慰問、救護を目的にできた会で、この奥村五百子(おくむら いおこ)が創設者です。
 五百子は1845年(弘化2年)、現在の佐賀県唐津で浄土真宗の寺の娘として生まれました。父の影響で兄と共に尊皇攘夷運動に傾倒し、男装して長州への密使を務めたこともあるといいます。高杉晋作らとも面識があったとそうです。
 明治以降は元水戸浪士と結婚し、古着屋などを営んで夫を養って暮らしていましたが、社会への関心は高く、征韓論などへの意見の相違から離婚したほどです。
 その後は社会運動に身を投じ、議会選挙では政府に弾圧された民党側に立って選挙運動指揮をとるなど活躍。さらにはのちに早稲田大学学長となる候補者の天野為之(あまの ためゆき)が暴漢に襲われると、これを一喝して退散させました。天野は五百子を命の恩人と称え、大隈重信(おおくま しげのぶ)に紹介します。
 そこから元唐津のお殿様で海軍軍人となった小笠原長生(おがさわら ながな

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