「大谷大学開学の碑」
改革目指し、東京で開校した大谷大学
★ジャンル【学校】
★場所 豊島区上池袋1-36
★最寄駅 JR大塚駅もしくは都電荒川線巣鴨新田駅
★碑文
「明治三十四年十月十三日 大谷大学の前身である真宗大学が清沢満之を初代学長として当時巣鴨宮仲と言われていたこの地に開校された。大学はその後京都に移るが大谷大学の近代の黎明はまさにこの地に告げられたのである」
★解説
大塚駅北口を出て、宮仲公園通りを8分ほど歩くと左手に宮仲公園があり、その中に建っています。現在、公園内が下水道工事のため一部閉鎖されており、その関係でこの碑も以前の場所からは少し移動させられたようです。また工事用の囲いで囲われており、碑文などが一部見にくくなっています。
碑の裏に地図がありますが、実は碑の場所には学校はなく、やや南西の場所にありました。
大谷大学は東本願寺系の大学で、期限を遡れば1665年に京都の東本願寺内に作られた学寮にまで行き着きます。その後学寮は東本願寺を出て高倉通に移り、「高倉学寮」と称されます。明治に入ると仏教界も近代化、西洋化の波に洗われ組織の改編も進んで、1896年には真宗大学というものができ、従来の僧侶教育とは別組織となります。
しかしこの頃真宗内では改革運動が進められており、旧来派の影響の強い京都ではなく、近代化の進む東京への移転開校が進められ、1901年にこの地で開校しました。
初代学監(学長)は清沢満之(きよざわ まんし)で、この人は改革派の中心人物であり、いったんは主流派から除名処分を受けるほどの人物でした。その識見、能力は高く評価されており、結局清沢に真宗教育近代化の中心を担わせることになります。
しかし東京ではやはり不都合があったのか、1911年には大学は京都に戻り、真宗
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