日本の塩田技術完成の地/日本有数の上水道も/赤穂市
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「赤穂」と聞けば「忠臣蔵」、だけでは実にもったいない。赤穂には全国に誇るべきものが多数あるのだ。
まずは塩である。日本は岩塩が産出しないため、古来より海水から塩を得る世界的には少数派の国だ。その方法は、何らかの方法で海水の塩分を濃くした鹹水(かんすい)を作り、それを火にかけて煮詰めて塩を作るというもの。
古代は海藻に海水をかけながら天日に当て、鹹水を作っていた。藻塩である。これは極めて効率が悪いので、中世になると海岸近くに砂を敷き、海水を撒いて天日に当てて砂に塩を付け、海水で戻して鹹水を作るようになる。塩田である。
さらに江戸時代。中世の塩田は海水を撒く労力が大変なので、干満の差が大きい地域で、潮の満ち引きを利用して広大な塩田に海水を導入する入浜式塩田が開発される。この発祥地が赤穂を含む播磨地方だった。
江戸時代初期に赤穂藩主となった浅野長直(内匠頭長矩の祖父)は、姫路で発明された入浜式塩田を積極的に導入し大規模に塩田を造成。方法も改良し完成させる。この方法が瀬戸内一円に広まり、一大塩生産地となった。
赤穂では遠浅の海を利用して城を中心に西浜、東浜と塩田が造成され、西は上方向けの白い真塩、東浜は関東向けの差塩と分業し、最高級ブランドとしてもてはやされる。
戦後、ポンプを利用して海水をくみ上げ、竹の小枝にかけて濃くする流下式塩田ができると入浜式は一気に廃れ、さらに1970年代に電気を使ったイオン交換膜法という製塩法ができると、広大な塩田は姿を消した。入浜式では
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