「東京女子医科大学発祥の地」
女子のみの医大貫く、創始者の意志
(2025年まで地下鉄工事のため撤去中)
★ジャンル【学校】【医療】
★場所 千代田区飯田橋1−1
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄九段下駅
★碑文
「吉岡彌生は明治三十三年(一九〇〇)十二月五日、この地にあった至誠医院のなかに東京女医学校を創立しました。翌三十四年四月、同校は牛込区市ケ谷仲之町に移転。 のちに市ケ谷河田町へ移転して現在の東京女子医科大学に続きます。 吉岡彌生の至誠医院は明治四十一年(一九〇八)に旧飯田町四丁目三十一番地に移り、関東大震災までありました。」
★解説
碑はホテルグランドパレス北角に立っていましたがが、至誠医院はその向かい、飯田町4丁目9番地にありました(丁目地域は現在とは異なる)。
吉岡彌生(よしおか やよい)は静岡県掛川市出身で父は漢方医でした。1889年(明治22年)に今の日本医科大学、当時の済生学舎に入学、1892年(明治25年)に医師なります。その後1895年(明治28年)に再び上京してドイツ語を教える私塾・東京至誠学院に通学、同年10月には院長の吉岡荒太(よしおか あらた)と結婚します。そして1897年(明治30年)に東京至誠医院を開業。この名は夫の学校名にちなんでいるものと思われます。
その後1900年(明治33年)に出身校の済生学舎が女性の入学を禁じたことから同年12月5日、医院の一室に日本初の女医養成機関として東京女医学校を設立します。吉岡はまだ29歳でした。
翌年に市谷仲之町に移転し、さらに1903年(明治36年)に陸軍獣医学校跡地である現在地、牛込区市ヶ谷河田町に移転します。
東京至誠病院は飯田町4丁目31番地に移転後、碑では関東大震災でなくなったよ
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