仙台藩伊達家上屋敷(汐留)
埋立地だった伊達家の屋敷
62万石:(陸奥、常陸、近江、全国3位)
所在地:港区東新橋1-6から9あたり
最寄り駅:都営大江戸線、ゆりかもめ汐留駅
伊達家上屋敷(旧)
伊達家中屋敷
伊達家下屋敷(麻布)
伊達家下屋敷(大崎)
伊達家下屋敷(大井)
伊達家下屋敷(千住)
伊達家蔵屋敷
伊達家の表高(公式の領地石高)は、陸奥での60万石に常陸と近江の飛び地2万石を合わせて62万石であり、大名家第3位の領地だったが、新田開発に邁進した結果、幕末にはほぼ100万石近い98万石の実高を得るに至り、実質序列は前田家につぐ2位だった。
領地は江戸に近く、関東平野に入ればあとは江戸まで遮るものがなかったために常に警戒され、有名な伊達騒動も伊達家の力を削ぐための幕府の陰謀説もあるくらいだ。江戸城の構築から始まり、神田川の開削やらさまざまな土木工事を命じられて常に金を使わされた。
一方で江戸に近い大米作地ということで江戸で米を売って儲けることに腐心した。このため江戸で流通する米の多くは仙台米で、米価格の基準ともなっていた。また仙台藩の米を江戸に運ぶ航路が開拓されなければ、江戸の人口が100万人にもなることは不可能だった。
上屋敷は江戸時代当初は現在の日比谷公園あたりにあったが、のち愛宕下に移され、さらにこの汐留となった。藩邸は江戸城を挟んで仙台の反対側にあり、いざというときには不利だった。また元は湿地であり、埋め立てて屋敷にしたため湿気が多かった。その一方で舟入を作ることができ、便利な面もあった。
維新後は全て政府用地となり、初代新橋駅の敷地となった。その後長く国鉄汐留貨物駅だったが、現在は再開発され、無秩序なビル街となっている。
伊達家上屋敷があったのは日本テレビのほか、資生堂、共同通信などがあるあたり、電通も半分ぐらいは屋敷内。
1)表門跡
日本テレビ本社の北玄関脇あたりに表門があった。本来は壮大な門があったが、火事で焼けて以降、木を組んだだけの簡略な門のままにされた。
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