見出し画像

「日本最初の喫茶店『可否茶館』跡地」

日本初の喫茶店経営者は鄭成功の一族

★ジャンル【文化】
★場所 台東区上野1−1−10
★最寄駅 東京メトロ上野広小路、末広町、湯島駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治21年(1888年)4月13日、日本人による初めての喫茶店が、鄭永慶(ていえいけい=別名・西村鶴吉)によりこの地に設立された。二百坪の敷地に五間と八間の二階建ての木造洋館であった。一階には『トランプ、玉突き、クリケット、碁、将棋』を揃え、また硯に便箋や封筒もおき、更衣室、化粧室、シャワー室、調理場などの設備の他に、『内外の新聞、雑誌類、その他和漢洋書、書画を蒐集縦覧に供す』部屋を設け、二階が喫茶室で、丸テーブル、角テーブルを配置、椅子は籐であった。コーヒーは一杯一銭五厘、牛乳入りが二銭であり、一品料理、パン、カステラなども出していた。ちなみに当時、「もりそば」は八厘であった。設立者の鄭永慶は、近松門左衛門作の「国性爺合戦」で有名な鄭成功の弟、七左衛門を先祖にもち、庶民のためのサロンとして、また知識も学べる広場(コーヒーハウス)とすることを理念としての開店であった」

★解説
 最寄り駅とした東京メトロの3駅のちょうど中間あたりです。上野広小路から中央通りを銀座方面に行くと右側に不自然な三角緑地があり、その先のビル敷地に歩道に面して設置してあります。
 碑は最近のビルの建て替えにより新しくなり、全面の金属の部分がコーヒーカップを、後ろのガラス面の模様が立ち上る湯気を表しています。以前は煉瓦の柱にコーヒーカップが載った素朴なデザインでした。
 鄭永慶(てい えいけい)は名前から中国人のように思いがちですが、碑文の後段にあるように江戸時代初期に日本に亡命した明王朝の遺臣・鄭成功(てい せいこう)の子孫であり、代々長崎で中国との貿易に携わっていたおり、日本人と言っていいでしょう。一族からは明治期に多くの外交官を出し、日清戦争時の交渉などで活躍しました。
 鄭は10代でアメリカに渡りエール大学で学びますが、病を得て途中帰国。のちに大蔵省に入りますが、中途退学では待遇や出世に差があり、退職して喫茶店を始めます。店名の読みは「かひさかん」です。
 コーヒーは江戸時代にはすでに日本に伝わっていたようですが、苦い味が

これより有料です。以下には記事全文のほか、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

572字 / 4画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?