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「吉野家」(築地一号店記念石碑)

実質的に築地で生まれた「味の吉野家」

★ジャンル【企業】
★場所 中央区築地6−20−37
★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅、都営大江戸線築地市場駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「ここ築地の地に、牛丼の吉野家の創業店がありました。吉野家の歴史は、かつて栄えていた日本橋の魚河岸で明治三二年に開業したのが始まりです。屋号は、創業者・松田栄吉の出身地である大坂・吉野町より名づけられたと伝えられています。その後、関東大震災の影響により、大正一五年、魚河岸とともにこの地に移転いたしました。東京大空襲によって店舗は焼失しましたが、終戦後すぐに屋台で営業を再開。そして昭和三四年、「築地一号店」を開店したのです。当初、具材には季節の旬な食材と豆腐なども盛り込まれていましたが、市場で働く人たちが牛丼を注文するのは、牛肉が食べたいからなのです。二代目社長、松田瑞穂は、そんな思いに応えてメニューを改良。より多くの牛肉と、味わいを深めるための玉ねぎだけを使った、シンプルな牛丼を生み出しました。この牛丼は市場で大いに愛され、またたく間に各地へとひろがり、日本人のお腹を満たす国民食となっていったのです。平成二八年、再び市場の移転にともない、「築地一号店」も移転することになりました。この地で永きにわたり多くの方々に、ご愛顧いただいてまいりました「はやい、うまい、やすい」吉野家の牛丼は、まさにこの土地で育まれた味なのです。」

★解説
 かつての築地市場東側、江戸時代の築地埋め立て以来の歴史を誇る波除稲荷境内にあります。市場は移転しましたが、波除稲荷は築地のものですから移転はしません。そこを見越して市場移転前に碑を設置するなどはさすが吉野家です。しかし「平成二八年」に移転はできませんでしたね(笑)。実際の移転は平成30年、2018年にずれ込みました。
 築地時代の店舗は、築地場内に飲食店などが並ぶ魚河岸横丁の一番北側、1号館の角地でした。吉野家によると、二代目の松田瑞穂(まつだ みずほ)が敗戦後の築地市場復興の活動で功績があったため、いい場所になった、としています。
 発祥の地と言いながら、実は碑には「発祥」の文字はなく、碑文を見ると「開業は日本橋」とあります。その一方で築地店を「創業店」と書いています。どういうことでしょうか?
 初代松田栄吉(まつだ えいきち)が日本橋に作った店は、当時流行していた「牛飯」屋だったようです。幕末以降広まった肉食、牛肉食の中で、日本独特の料理が牛鍋でした。当時の肉の強い臭みを消すためにネギを刻んで

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