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「シチズン時計株式会社発祥の地」
貴金属商から転身したシチズン
★ジャンル【企業】
★場所 新宿区高田馬場4−29−27
★最寄駅 JR、東京メトロ東西線高田馬場駅
これまでの23区発祥の地一覧
★碑文
碑文なし
★解説
高田馬場駅を横断する早稲田通りを西に登っていくと、左側に都内では数少ないアイススケート場のある「シチズンプラザ」があります。残念ながら2021年1月で閉鎖になりますが。ボウリング場もあり学生時代には時々行きました。この「シチズン」はシチズン時計の「シチズン」で、施設は同社の関連企業の運営です。敷地脇に碑があります。以前は同社の工場がありました。
シチズン時計は1918年(大正7年)、この場所で尚工舎時計研究所として設立されます。最初の製品を世に送り出したのは1924年(大正13年)で、この時のブランド名が「CITIZEN」でした。
創業者は山崎亀吉という貴金属商です。1870年(明治3年)、現在の大田区の生まれ。若くして親戚の時計商清水商店に勤め、22歳で貴金属装身具卸の店を開きます。さらに清水商店を引き継いで山崎商店と改名、ダイヤモンド商いで有名になり、「時計の服部」「真珠の御木本」「ダイヤモンドの山崎」と称されるようになります。
1917年(大正6年)には東京貴金属品製造同業組合を設立して、初代組合長に就任します。そして金などの貴金属の検定制度を作り、指輪のサイズの統一などを進め、日本の貴金属産業の発展に大きく貢献しました。
そして当時は輸入物の時計が高級品として珍重されていましたが、山崎は国産でよい時計を作ることを目指し、まず1911年(明治44年)にスイスを視察するなど研究を重ね、先の時計研究所を設立します。
尚工舎はもともとは装身具や文具を製造する会社で、1905年(明治38年)
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