「旗山」(日本海軍発祥の地)
気になる築地市場移転後の扱い
★ジャンル【その他】
★場所 中央区築地5-2
★最寄駅 J都営大江戸線築地市場駅
これまでの23区発祥の地一覧
★碑文
「此処ハ往昔徳川幕府ノ時松平定信ノ別業浴恩園内勝地タル賜山ノ一部ニ属ス明治二年海軍省衙ヲ此地ニ置ク五年本省設立後海軍卿旗ヲ此丘陵ニ樹ツ世人呼ンデ旗山ト称ス此地ヤ実ニ海軍経営ノ根基ヲ為セリ蓋シ其発祥ノ地ト謂ツベシ爾来春風秋雨幾星霜省庁移転シ僅ニ一二ノ御門ヲ留ムルノミ地形漸ク変リ旧時ノ状景亦尋ヌルニ由ナカラントス乃チ旗山ノ地点ヲ相シテ一碑ヲ建テ以テ記念ト為スト云爾」
★解説
2020年5月時点で、この碑は廃止された旧築地市場内の水神社遥拝所跡地にあり、入ってみることができません。しかし隣接する商業施設「築地魚河岸」の屋上からその姿を遠望することはでき、撤去はされていないようです。
まず「旗山」はなんと読むのでしょう。たぶん「はたやま」だと思うのですが、確証がありません。また碑文がわかりにくいですね。「海軍卿の旗を立てたので旗山と呼んだ」と書かれています。さらに「海軍発祥の地というべきだ」ともあります。日本海軍はこの地に設立されたということです。
ただ普通「日本海軍発祥の地」と検索すると、宮崎県日向市にある記念碑が出てきます。これは神武天皇が水軍を発進させた地に、戦前の紀元2600年の際に設置したものです。
旧築地市場は、なんだかずっとあったように思っている人も多いですが、ここに魚河岸が移転したのは関東大震災で日本橋魚河岸が壊滅してからのこと。正式に開場したのは1935年、昭和も10年になってからです。
築地に魚市場ができる前に何があったかというと、そこは海軍の一大根拠地でした。
江戸時代には市場周辺には大名家の下屋敷がありました。海軍兵学校の項で書いた、一番隅田川寄りには広島藩浅野家の下屋敷があり、銀座寄りの内陸には一ツ橋家、桑名藩松平家、淀藩稲葉家の広い屋敷が並んでいました。中でも松平家の屋敷には、庭園付きで知られる先祖の松平定信(まつだいら さだのぶ)が築いた名園、浴恩園がありました。以前は水神社遥拝所の
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