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江戸湊発祥跡碑(東海汽船創業の地)

明治以降、伊豆七島への船で賑わった場所

★ジャンル【産業】
★場所 中央区新川2−31−7
★最寄駅 JR京葉線八丁堀駅、東京メトロ日比谷線八丁堀駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港してより、水運の中心地として江戸の経済を支えていた。昭和十一年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として、にぎわった。」(正面)
「離島への汽船発着所として東京湾汽船は明治二十二年、この地に設立された 町には六軒の旅館があり、 島の人々で賑わった 旧町名越前堀は越前松平家の周囲に堀があったことに由来する 地名将監は幕府奉行職御船手(海兵団)向井将監の屋敷跡に由来する 霊岸島検潮舎は、海抜の原点で、この大川端のテラス内にある。」(側面)

★解説
 八丁堀駅から新川に向かい亀島橋を渡って、リバー通りを右に行きます。亀島川水門の少し先の隅田川テラスを入ったところに大きな黄色い錨型のモニュメントがあります。
 実はこの碑、名称が決まっていないようです。案内する資料によって、「江戸湊発祥跡碑」だったり、「江戸湊の碑」「江戸湾開港の地」など様々な名称で呼ばれています。ですので今回はタイトルは「」で括りません。
 さらに碑文では「江戸湊を築港」とありますが、慶長年間、すなわち徳川家康が江戸入りした頃、あるいはその直前の江戸湊の位置はよくわかっていません。太田道灌(おおた どうかん)の頃は、現在の神田川の元となった平川が注いだ日比谷入江だったと思われます。しかし日比谷入江は土砂で埋まってきたため家康はここを埋め立てて丸の内の武家屋敷にします。
 その後、湊の機能は現在の日本橋や京橋あたりに多くの掘割が造られ、そ

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