修験道の門をたたく
山の魅力---
春
筍、ふきのとう…寒さがまだまだ身体にしみる冬の静けさの中、春の兆しを教えてくれる植物とその旬の味。寒さや雪に負けずに一足早く春を連れてきてくれる。
夏
灼熱の真夏に飛び込んだ山の中には日差しを遮ってくれる木葉、木々の間を吹き抜けてくるそよ風。目一杯光合成を続けエネルギーに満ち溢れる木々が疲れたカラダを癒してくれる。
秋
木々たちが冬支度をはじめる秋には、燃えるような情熱的な色彩で生命の力強さを見せつけてくれる。
冬
澄み切った空気の中、時間が止まったかのような木々の静寂、虫たちの声も消え無の境地になる冬の山。枯れ木を集めた焚火には心の芯まで温めるチカラが伝わってくる。
子供の頃、祖父母の住んでいた田舎へ行った時に裏山へ入る時の心躍る感覚。
今でもアクテビティを通じて山や自然のチカラに癒される。
中でも山を走るトレイルランニングをしていると、自然の気持ちよさと同時に、跳ね上がる心拍数や恐怖すら感じる崖っぷち、ちょっと油断すると怪我をするような状況に身をおくことになる。
険しい道をひたすら走る事に集中しているといつの間にか心が無になり、日々の忙しさから自分を取り戻す事ができる。
自然のもつ偉大な力の一つにはミネラル豊富な岩石の上に、植物や生物の死骸を微生物たちが分解し、新たな生命を生み出す生態系がある。
それを活性させる雨水。雨水も山の中へ染み入る事でパワーの溢れる湧水として生命へと循環されている。
その上に立ち、ただただ己の未熟さや儚さを感じた時に、すーっと自然の中に包まれている事に気付き、自然の一部に溶け込む事ができる。
そんな山々で修行を重ね、山を信仰し人々を支えてきた修行者がいるらしい。
修験道や山伏とは何となく知識として持っていたが、何をみて、何を感じて、何のために修行をしていたのか、しているのか気になっていた。
山岳信仰、自然崇拝、日本的宗教観、様々なワードが修験道への興味をさらに湧き立たせる。
---そして、修験道の門をたたく---
来年、厄年いや役年を迎えるにあたり、もう一度自分を見直し、生きる意味を探してみようと12月28日、令和元年最後の護摩供養の日に修験道本山派の総本山「聖護院門跡」へ訪れさせていただいた。
その日は護摩供養の中でも、自分自身の悪行を供養する「柱源(はしらもと)護摩供養」。
そこで見た修験道の護摩供養は、住職の読経や祈祷に加え、ハモリとも言える僧侶の音程を変えた読経、そして力強い和太鼓を叩く音。
さらに在家の山伏の方々の大気を震わすようなホラ貝に、参拝者も含めた人たちのお数珠を擦り合わせる音が加わり、まるで何かの演奏のように一つの空間が生まれる。
そのお堂の真ん中でバチバチと音をたてながら勢いよく焚き上げられる炎。
それは、いわゆる宗教儀式というより、どこかの民族の祭典のようなものを感じた。
また、法螺を吹いている在家の参拝者と思われる方も何やら密教でよくあるような手の動きをされている。
このような所作は仏教では住職や僧侶だけがなされる特別な物と認識しているがここでは参拝者もされているではないか。
導師様の法話より
-----
「報恩謝徳」
毎日を生きる中で、つい忘れがちな自分を支えてくれている身の回りの人、ご縁、氏神様への「感謝の気持ち」をもって新年を迎えましょう。また、「ありがとう」という気持ちをしっかり表現しないと伝わらないので、ちゃんと表現しましょう。
---
護摩供養が終わり本堂を見学させていただいた。
・御本尊の「不動明王」坐像
・修験道の開祖「役行者」坐像
・天台宗寺門派宗祖「智証大師(円珍)」坐像
それはとても力強く、今にも動き出しそうな坐像を目前にただただ圧倒され、いわゆるお寺の仏像との違いを感じた。
円珍・・・空海の甥でありながら比叡山で修行をし、延暦寺第五代座主になられる。その後天台宗寺門派の宗祖となった方で役行者を慕い修験道の発展に寄与された。また円仁と同じく天台密教の確立に貢献。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。
本日のお勤めが終わった後、僧侶の中のお一人に「参拝者もさまざまな所作を住職と同じようにされているのは何故か、私も教えてもらえるのか」と訪ねると
「修験道は在家の宗教なので、皆さん長い時間をかけて学びに来られ、修行をされています。その中で修験道だけでなく仏教や密教の考え方や読経、法螺、和太鼓、また様々な儀式の所作を習得されています。僧はあくまで皆さんを導くだけで基本的にはお仕事や通常の暮らしをされている方(在家)が修験道に入り得度され山伏になられます。そして、あくまで密教なので「口伝」という方法で習得するため、教えや所作は講習会や修行を通して伝えられています。」との事だ。
それを聞いて、ますますその教えを得たくなってきた。
初めての聖護院、初めての修験道を体験し、改めて生きる事、生かさせれる事について考える年末となった。
来年から襟を正し、山に自然に伏して修行しよう。