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【ビジネス書から学ぶ教育①】僕の教員人生を変えた名著「エッセンシャル思考」

1.教師がぶつかる「時間の壁」

家庭をもつ教員が必ずぶち当たるであろう壁があります。

それは「時間の壁」です。

約10年前。僕が若手の頃、毎朝7時には出勤し夜は20時や21時。そんな生活を当たり前にしていました。

忙しいのも教師になる前から覚悟の上。自分を犠牲にし、子どもたちにしてやれる最大限のことをやりたい。そんな気持ちでいたため、残業代が出なくたって何時間でも働く。それでも楽しかったし毎日が充実していました。

しかし、結婚して子どもが産まれるとそうは言っていられません。自分だけの人生ではなくなるからです。特に上の子が保育園に通い、妻が育休から復帰した年から、僕は仕事と家庭の両立で多忙を極めました。17時に退勤しないとお迎えに間に合わないから、仕事が残っていたり、やりたいことがあっても諦めるしかありません。でも諦めることは学級の子どもたちに申し訳なく、朝5時頃に出勤して仕事をしていました。仕事も家族もどちらも大事にしたかったのです。

そして、毎日を黙々と必死にこなしているうちに限界が来ました。徐々に無理が利かなくなり、楽しかった仕事が楽しくなくなっている自分に気が付きました。

「自分はこんな生き方をしたかったのだろうか?」

そう思えば思うほど、何だかやりがいを見失ってしまいました。自分を犠牲にしてでも子どもたちのためにあらゆる手を尽くす。それを約10年やってきた僕の目の前に時間の壁が大きく立ちはだかりました。家庭を大事にすれば仕事をおろそかにしている気がするし、仕事を大事にすると家族との時間が減っていく。どっちを優先したらいいんだと悩みました。そんな時、友人がこんな言葉をかけてくれました。

「自分の子どもを大事にできんやつが、人の子どもを大事にできるとは思えない」

その通りだ。自分を犠牲にする必要はない。むしろその思考は危険な勘違いだったと目を覚ましました。

働き方を見直そう。仕事と家族、どっちも大事に決まってる。それは天秤にかけるものではなかった。仕事に切をつけることは手を抜くことではない。自分が「これだ」と決めた仕事に100%を出し切ることで、今までと同じ、いやそれ以上の質の教育を子どもたちに与えることができるんじゃないか?

1日24時間。仕事に使える時間は限られています。その中でより成果の高いものを優先し、全エネルギーを注ぐ。そんな働き方にシフトチェンジしたい。仕事に対するマインドを変える必要がありました。

そんな中、自分の価値観が大きく変わる本に出会います。それが「エッセンシャル思考 最小の力で成果を最大にする」(著 グレッグ・マキューン)。

2.エッセンシャル思考とは

本書には、

エッセンシャル思考は、より多くの仕事をこなすためのものではなく、やり方を変えるためのものである。そのためには、ものの見方を大きく変えることが必要になる。(中略)エッセンシャル思考になるためには、3つの思い込みを克服しなくてはならない。「やらなくては」「どれも大事」「全部できる」この3つのセリフが、人を非エッセンシャル思考の罠へと巧みに誘う。

と書かれています。

冒頭を読んだ瞬間、あまりに痛快過ぎて笑えました。まさに僕が非エッセンシャル思考の人間であることを明確に指摘されたからです。今までの自分の働き方を根底から変えるような考え方と目指すべき答えを示してくれているように思えました。

「より少なく、しかしより良く」

本書の一節で、僕の座右の銘となった言葉です。かけた時間と成果は比例するものではない。冷静になればとても当たり前のことなのに、なぜ気づかなかったのだろう。多忙を極めると思考停止状態になるというが、僕はまさに危険な状態だったと思います。

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3.非エッセンシャル思考教員が危険である理由

少なくとも僕が若手の頃、職員室にいた同僚のほとんどは非エッセンシャル思考でした。それが当たり前でした。しかしこの考え方はかなり危険だと言えます。12月22日に文部科学省が発表した調査によると、2019年度に休職した公立小中高・特別支援学校などの教職員が5478人、18年度に退職した公立学校教員が817人いて、ともに過去最多だったことが分かりました。「残業の多さ」や「保護者らの過度な要求」を理由に心の病を患い、休職する教員が過去最多という現状。「全てを全力でやらないといけない(非エッセンシャル思考)」と思い込む真面目な教員が報われず、病んでしまっているのです。これは危険以外の何者でもありません。さらにこの調査によると、精神疾患を患った教員を年代別に見ると、僕と同じ30代の割合が最も高い。仕事と家庭の両立の難しさを痛感した僕も、全く他人事とは思えません。
一方で、最近の若手教員の多くはエッセンシャル思考を既に備えているように感じます。「Z世代」と呼ばれる彼らは、幼い頃からスマホやSNSを駆使して育ってきているためか、仲間と情報交換をしながら効率的に働く力を備えている人が多い。しかし多くの学校現場ではエッセンシャル思考と非エッセンシャル思考がぶつかり合っています。多くの場合、非エッセンシャル思考教員が年上であることから、目的が明確でない仕事を無理にやらされる若手が伸び悩み、思考停止状態となる。「学習性無力感」と呼ばれる現象です。自分では何一つ選べないから、全てを引き受けるだけになってしまい、そして非エッセンシャル思考の罠にはまっていく。僕はこの状態を早く改善すべきだと思います。自分からエッセンシャル思考を掴みにいき、エッセンシャル思考の仲間を増やし、チームを作る。それが今の目標であり、我々「ミレニアル世代」の役割でもあると考えています。

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4.エッセンシャル思考を学校教育に

僕は本書を読み込みました。心に響く言葉の数々。少しでも生かせるものを取り入れて自分と学校をアップデートしたい。本書に言わせれば「現代の職場はカオスだ」。改革すべき余地はあまりに多い。出来ることから実践していこうと思いました。

ー 非エッセンシャル思考からの脱却

まずは自分自身の思考の改革に着手しました。これが一番手っ取り早く成果を得やすいからです。非エッセンシャル思考を信条としてきた人にとって、エッセンシャル思考を実践することは勇気が必要です。しかしこの改革なくして理想の働き方を得ることはできません。僕が改革するために取り組んだ思考の変化をまとめます。

①「選ぶ」ことを選ぶ

非エッセンシャル思考の人は、自分で選ぶことを少しずつ放棄し、いつのまにか誰かの言いなりになっています。「できる」仕事が増えるがゆえに、「やらなくては」という思考が生まれ、ストレスが増えている。しかし「できる」仕事を「自分がやる」かどうかは別問題です。「やらない」という選択肢もあり、それを「選ぶ」権利もある。「やらなくては」の思考は、思考停止状態を生む危険な考えです。本質を見抜く力が求められます。

②✖新しいことをする→〇まずムダを減らす

新しいことに挑戦するのはとても良いことです。しかし時間は限られています。新しいことに取り組む時間を得るためには、何かを減らさなければなりません。まずは成果が出てないことから優先的に減らし、その隙間に新しいことをする時間を入れるようにします。

③✖時間ベース→〇アウトプットベース

成果は自分が行った仕事がどれほど変化をもたらしたかで決まります。例えば10分しか働かなくても10時間働いた人と同じ変化をもたらすことができたなら、それはとてつもない成果があったと言えます。ただ時間をかけ、やっているような気になっている人は時間ベースで考える人です。アウトプットベースの人は、目標が定まったら最短距離でそこに到達する最も良い方法を探り、短時間で同等かそれ以上の成果を上げます。学校現場で分かりやすいのは学習指導です。「子どもたちに○○な力を身に付ける」という明確な目的に向けて、山ほどある指導法の中からアウトプットベースで教材研究をしていく。時間をかけて準備したからといって、飛躍的に学力が上がるのかと言われるとそうではない。短時間でも成果の出る指導法だってあるです。

④ノイズをシャットアウトし、孤独を楽しむ

生産性高く仕事をする上で、自分が集中できる環境を整えることはとても重要です。特に自分が集中できる時間と場所を整えること。学校なら、朝の職員室は比較的静か。人も少ないし朝はみんな集中力が高いため、自分も集中して作業ができます。一方夕方は、一日の疲れから集中力が低下します。職員室では、同僚の話し声、学年部の打ち合わせ、電話が鳴る音など集中を妨げる様々な要因に溢れています。そんな時は教室など一人集中できる場所を見つけて作業を行います。ストイックなようですが、成果を上げるためには状況に応じて非エッセンシャル思考の人と距離を置くことも時には大切です。

ー 非エッセンシャル組織の改革

僕は現在8ヵ月の育児休業の真っただ中です。育児休業に入る前までは学年主任を務めていました。しかし、その良さを全く生かすことができませんでした。自分自身が非エッセンシャル思考の人間で、自分の業務に手いっぱいだったからです。学年主任は良くも悪くも同僚に多くの影響を与えます。僕はそれをきちんと理解できていませんでした。非エッセンシャル思考で接した同僚には間違ったことを教えてしまったかもしれないと後悔しています。一方、学年主任の裁量でエッセンシャル思考の仲間を増やすことができます。おそらく復帰したら再び学年主任を務めることになります。ここからは私が学年主任としてこれから実践していきたい内容です。うまくいくかどうかは分からないが、勇気をもって実践していきたいと思っています。

①個々の役割をとことん明確にする

学年通信、会計、定期テスト、各種カード類の印刷など、学年業務には様々なものがあります。これらをやるかどうかはさておき、やると決めたことには最善の方法で効率よく進める必要があります。これらを月ごとや学期ごとにローテーションする学年も多いですが、生産性を求めるという点では固定する方がよいと考えています。例えば会計業務は大変な仕事であるが、同じ人が通年でやった方がお金の流れがわかり、ミスが減る。数字がズレると大幅なタイムロスとなるため確実な方がよいですよね。テスト作りにおいても、同じ人が作った方が同じ失敗をしなくて済むし、より早く作成できる方法を身に付けたり子どもたちの苦手を分析して、より実態に合ったテストを作ることができるかもしれません。そして役割を明確に固定することで、学年主任がいちいち順番や進捗を確認する時間を減らすことにもつながります。

②専門性を特化する

例えば1学年4クラスあった場合、4人の担任がバラバラに教材研究をしているのは非常に効率が悪いです。一人が行う教材研究を1教科でも減らすことができると、その分時間を生み出すことができます。一番良いのは教科担任制です。これは令和4年から小学校高学年でも施行される流れとなっています。学校にもよりますが、できるだけ教科担任制を取り入れていきたい。4クラスあれば3教科分の教材研究を減らすことができます。専門的に教材研究ができる分、子どもたちにとっても質の高い授業を提供することができるでしょう。

また、教科担任以外の教科も学年部で役割を決めておきます。各メンバーの特性によって最良の教科を割り振ります。決められた教科は優先的に教材研究をし、学習で使う教具やプリントの印刷は学年分用意してもらいます。学年内でメンター(ペア)を組み、教材研究等で相談したいことは、メンターと相談する。中堅同士や若手と主任でペアを組むイメージです。主任も相談に乗ることがあっても、最終的な決断は個人に任せる体制をとりたい。決断することは、責任を背負うことを意味します。決断することが主任の仕事のように思われがちですが、人の責任で仕事をしているうちは若手も育ちません。何より決断には多くのエネルギーを使います。一日に何度も決断することは、自分の首を絞めることにつながると肝に銘じておくべきです。もちろん同僚を信頼した上で、最終的な責任は主任がとる姿勢は持っておかなければなりません。

③ビジョンと目的を明確にする

企業経営において経営ビジョンというのはとても重要なものです。それは学校や学年でも同じはず。しかし学校現場において、ビジョンがきちんと共有されている学年はかなり少ないのではないでしょうか。学校の教育理念に基づいた上で、学年の子どもたちの実態に合わせて、どんな子どもをどのように育てたいのか、それが明確に示されていると物事がスムーズに進みます。例えば学習面においては

「子どもたちの学習時間と教員の勤務時間を増やさずに、学力テストの学年平均を全国平均より上にする」

このように定めると、全ての教科指導がそのビジョンに向けられたものになります。すると、個人に任せた教材研究にも統一感が生まれ、方向性の違いから生じるミスや作り直しといったロスを防ぐことができます。
また、学校現場では、「この仕事、何のためにやってるんだろう」と思う仕事がたくさんあります。学年業務だけでも仕事にはちゃんと意味があることを示せれば、若手は安心して仕事ができるのではないでしょうか。特にエッセンシャル思考の若手にとっては、意味の感じられない仕事をやらせれることが最も苦痛で仕方がないということを忘れないようにしましょう。

④ 行事もアウトプットベースで

行事は学校の花形である一方で、教員の負担を大きくする原因にもなっています。求めるものが高ければ高いほど、多くの労力を必要とするからです。しかし行事において陥りがちなのは、いつしか教師の自己満足を満たすためになってしまうことです。高い完成度や完璧さを求めるあまり、細かい修正に時間を割くような非効率な指導になる危険性があります。行事において大事な目的は「子どもたちの達成感と成長」です。かけた時間の分だけ完成度が上がるわけではありません。たとえ完成度が上がったとしても、子どもたちの心が離れてしまっては意味がなくなってしまいます。「簡単で見栄えするもの」というと聞こえは悪いですが、エッセンシャル思考的な働き方をするのであれば、そういう行事の作り方もあることを念頭に置いておくべきです。

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5.まとめ

本書を一人でも多くの教員に読んでもらいたい。特にワークライフバランスに悩む社会人には必読の一冊だと思っています。僕はこの本で教員人生が変わり始めました。

働き方改革の波は少しずつ学校現場にも押し寄せています。僕はその波に乗ることに決めました。それは自分自身の身を守り、そして家庭円満の土台となり、更には心からの笑顔で子どもたちと触れ合える好循環の波だと信じているからです。しかし、働き方改革の波を待っていては遅すぎます。その間にもたくさんの同志たちが悩み、もがき、苦しんでいる。教員は大変な仕事だと思われるかもしれません。でも一般企業だって大変な仕事はたくさんあります。どんな仕事でも、自分の中の思考が変われば少しずつ現状が良くなるかもしれません。僕は多くの教員が自分の働き方の危険性に気づき、日本中の学校がエッセンシャル思考で溢れる日を願っています。

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