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小学校卒業の日に母へ送った「最後の手紙」

おそらく僕が母に送った「最後の手紙」が、実家のいつも同じところに飾られている。

それは、小学校の卒業式に送ったもの。

もちろん、担任の先生から「これに手紙を書くよ」と言われて書くことになった手紙。


もう20年ほど経っているその手紙に、何と書いたかなんて覚えていない。たぶん「今まで育ててくれてありがとう」的な、ありきたりなことを書いたんだと思う。

母はそんな手紙を約20年、ずっと目につくところに置いている。


僕だって、一応、中学も高校も、卒業という節目には感謝の言葉を伝えてきたつもりだ。

卒業式は、自分がここまで育ったという証を刻む日。
そして、ここまで育ててくれた人への感謝を示す日。

その意義はちゃんと言葉にして果たしてきた。


でも、言葉で言うのと手紙ってやっぱり違うんだろうな、と今になって思う。

言葉は記憶にしか残せないけど、手紙はカタチとして残る。

手紙の内容だけじゃなくて、
その時の風景、
手紙を渡す時の表情、
もらった時の気持ち。

母は、手紙を見てそんなことまで芋づる式に思い出しているのかもしれない。

渡した当の本人は、その時の記憶なんてまったくない。

自分が書こうと思って書いた手紙なら、まだ覚えてたかもしれないけれど。



この手紙が、文字通り「最後の手紙」となってしまっている。

それ以降、母に手紙を送った記憶はない。

母は、最初は記念に飾ってみたけれど、3年、5年と経つうちに、
「これが最後の手紙かもしれない」
と思い、片づけられずにいたのかもしれない。


確かに、そう思わせてしまうような中高生時代を過ごした。

中学時代から顕著になった反抗期は、高校でさらにエスカレート。弟以外の家族とは、ほとんど口も聞かないような男になった。

自分の部屋に閉じこもり、ご飯の時だけ居間にいく。

何かにずっとイライラしていて、機嫌が悪い。

口を開くとイライラが飛び出るから、頑なに口をきかない。

母の言葉もほぼ無視だった。

「あんたみたいな子と、誰が結婚してくれるか。もし結婚する時がきたら、本当にこの子でいいのかちゃんと確かめる」

そんなことを言われたこともあった。(無事結婚できてよかった笑)


そして、高校を卒業すると共に家を出た。
一人暮らしの大学生活。

不思議なもので、家を出てから母との関係は徐々に改善した。

僕の反抗期は5年ほどだろうか。母からしたらもっと長く感じたかもしれない。



大人になった今だから、何となくわかる。

信じ抜くって難しい。自分の子どもでさえも。


僕だったら、僕みたいな子を育てられなかったんじゃないかと思う。

自分で言うのもなんだけど、当時の自分のことが嫌いだ。

素直になれない自分が嫌だったし、人に嫌われるような態度もたくさんとっていた。


そんな子の親だったら。

何でこんな子になってしまったんだろう。
今までの育て方がまちがっていたのだろうか。
この子は自立して生きていけるんだろうか。

そのような心配をたくさんしてしまいそう。

信じ抜くなんて無理だったろう。



だから、母は母で苦労したと思う。

どんな気持ちで僕を育てたのだろうか。


これは推測でしかないけれど、僕が渡した「最後の手紙」は、母の中で「砦」だったんじゃないかと思う。

まだ可愛かったころの僕を思い出し、
本当は「ありがとう」と言える子なんだと、
表面的には最低な男だけど、
根はいいヤツなんだと思い続けるための「最後の砦」。

反抗期は一時的なもので、いつかまた、この手紙をくれたころのような素直な気持ちに戻るはず。

母はあの手紙を見て、そう自分に言い聞かせ、僕を信じ抜いてくれていたのかもしれません。



あの時は心配かけました。迷惑かけました。ありがとう。

そう思っていても、手紙にするのは恥ずかしい…。

時折実家に帰って、
元気な顔を見せて、
思い出話の一つとして、
当時のことをネタにしてみんなで笑う。

今の僕には、まだそこまでしかできません。

いつか手紙にできるだろうか…?

「最後の手紙」が更新されるのは、もう少しあとになりそうです^^;



卒業。

お別れの季節。

みなさんの元にも、素敵な手紙が届きますように^^




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