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緊急事態宣言延長の中、学校に求められる「緩急」のバランス

 先日、フジテレビの「ワイドナショー」を見ていたのですが、その時の松本人志さんのコメントが妙に心に刺さりました。話題は「緊急事態宣言中に議員が銀座のクラブを訪れた」というニュース。

 カンニング竹山さんが蓮舫さんに「もう少し優しく」と言ったことではなく。その後の松本さんの小池都知事を例に挙げたコメント。

「緊張と緩和でね」
「小池(百合子東京都知事)さんが『口紅忘れた』っていうのが妙にかわいく感じたりね」
「緩急が必要かなって」

 「緊張と緩和」、「緩急」。この言葉がここ数日ずっと頭の片隅に残っています。これはお笑いのセオリーと呼ばれるものなんだそうですが、学校や社会全体でも重要なことだと感じています。


➣教師の「緊張と緩和」は1:2がベストの割合

 教師の中には「○○ちゃん」とか「〇セン」のように子どもたちからニックネームをつけられる先生がいます。ひと昔前の学校は、そんな呼び方をすると許されなかったかもしれませんが、現代の学校はその先生の許容の範囲内なら良しとされる雰囲気があります。

 僕も子どものころ裏でこそっと先生に変なニックネームをつけて呼んでいたのを懐かしく思います。現代っ子は、そのニックネームを惜しみなく嬉しそうに呼んでいきます。そしてその先生のことが大好きになります。だからといって、学級が荒れたり、子どもが甘えすぎてわがままばかりになったりするわけではなく、うまくまとまっています。その先生が「緊張と緩和」をうまく使い分けているからでしょう。

 教師は子どもたちにとっては年上ですから、どうしても威圧感が出てしまいます。立っているだけでもつい見下ろすことになりますし、指導の場面では冷静にまじめな話をする緊張感を醸し出します。つまり、普段の存在そのものが「緊張」をイメージさせる立場なのです。さらには学校という組織そのものが緊張感をあたえる存在であったりもします。

 確かに、子どもが悪いことをしそうな時に教師の姿を見ても「ヤバっ!」とも思わないような緊張感のない教師になってしまうと、生徒指導上不便かもしれません。しかし、子どもたちを常にそのような緊張感の中にさらしておく必要もありません。時には「緩さ」を醸し出し、先生の人間味をさらすことで緊張を緩和させてあげることも大事だと思います。いつも怒ってばかりでピリピリしている先生には誰も近づきませんよね。

 僕は「緊張と緩和」が1:2ぐらいを心がけるくらいがベストのバランスではないかと思っています。「教師」や「学校」そのものが緊張感を与える存在であるので、「緩和」の割合をそれくらい大きくとるくらいでもバランスが取れるんじゃないかと考えています。


➣「緊張と緩和」を生かした学級経営

 僕は学生時代、先生の授業中の「余談」が好きでした。話が授業から脱線し、どうでもいいことを熱弁し始める先生。それに便乗して、授業を妨害しようと言わんばかりに話をどんどん盛り上げる子どもたち。その時間がとても好きで、教壇に立つようになってからもつい余談をはさんでしまいます。

 教師による講義が中心とした一斉授業は、いつも一定の「緊張」があります。その中に「余談」という「緩和」が加わることで、一気に解放感と安心感に包まれます。こうした緩急をうまく使いこなすことが、学級経営の肝だと思うのです。

 もちろん授業で教えることと関係ないことなので、乱発することはできません。大事なのは緩急をつけること。常に緊張とか常に緩和では、学校生活をうまく進めることは難しくなります。


➣それでも「緊張」が必要な時は短時間で

 重要な伝達事項や生徒指導上の問題など、どうしても「緊張」が必要な場面は必ずあります。そんな時は、できるだけ短時間で終わらせることが大切です。校長先生の話が長いと辛くなるのは有名ですが、それは教師でも会社のチーフでも同じ。過度の緊張は、相手にストレスを与え続けます。必要なことをきっちりと伝えたなら、あとは相手を信じて待つ姿勢をとっていきたいものです。


「緊張」と「緩和」のバランスを意識

 「緊張」と「緩和」は子どもたちの前に立ち続ける教師だからこそ、常に意識していきたいテーマだと思います。

「今、子どもたちはどれくらい緊張しているのか」
「緊張と緩和の割合はどれくらいになっているだろうか」
と、時に振り返る姿勢を忘れないようにしたいなと思います。

 ただでさえ、緊急事態宣言という「緊張」が世の中を包み込んでいます。学校の子どもたちは、無言で給食を食べたり、自由に外で遊べなかったり、授業内容にも制限があったりと、様々な「緊張」を受けています。だからこそ、「緩和」できる部分を大切にして、のびのびと子どもたちを育てていけたら嬉しいですね。

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