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忘れ去られても、記憶はそこにあるから。
年をとったな、と感じることがありました。
新しく発売されたゲームの舞台が、どうやら一昔前の世界とのことで、いつ頃だろうと見てみると、なんと私の生まれ年。
え?私の生まれ年って一昔前なの?
つい最近まで若者の輪の中にいたきがするのですが、気がつけば一昔前の人間になっていたようです。
考えて見れば、はじめて手にとった小型電話はスマホではなくガラケーですし、CDは今のものよりもスリムでしたし、ドラえもんは大山のぶ代さんでした。
これらが徐々に現代から忘れ去られていくことは、少し寂しいようにも感じます。
でももしかすると、寂しがる必要はないのかもしれません。
どんなに多くの人の記憶から消えていっても。
たとえ存在を知ることなく時が過ぎても。
辞書から言葉そのものがいなくなっても。
私の心にはずっと残り続けている。
どこかの誰かに、覚えていて欲しいと願っても。
それは私の自分勝手。
誰も覚えていなくても、それでいい。
記憶は私の中で生き続ける。
ずっと一緒だから、寂しくなんかない。