理由は、ブックカバーを作りたいだけ
最近は結構本を読んでいます。
理由は、ブックカバーを折りたい・作りたいからです。
こう言うと読書を軽んじているようにも聞こえがちですが、理由はどうであれ、脱スマホは加速し、読書が進むのは良い事だ、と思っています。
小さなご近所さんの本屋さん
最近、本屋さんの事を書いた本を続けて読んだせいか、ご近所の本屋さんにもっと足を向けよう、と通っています。
店主さんがご高齢の為、息子さんの代に替わったのですが、とても店内の雰囲気が変わりました。
じっくり観察すると、置いてある本もお父さんの頃とは違う種類のものも増えましたし、ポップアップや並べ方も違います。
かなり長い間、大型書店にたまにいく程度で、読みたい本はネットやメルカリで買ってしまっていました。
しかしなるほど、本屋さんの選定や工夫、その本がお店に置かれるまでのストーリーなどを考えると楽しくなりまして、最近は訪れてみる町の小さい本屋さんの範囲を少し広げて寄ってみたりしています。
本屋さんのブックカバー
「カバーをおかけしますか?」
私はブックカバーに特別な基準はなく、その時の気分でかけてもらったり、結構です、と断ったりしています。
カバーの掛け方は本屋さんによって、袖を折っただけのものや、袖の裏に天地カバーをしまい込んでいるものなどがありますよね。
私のご近所さんのカバーの掛け方は後者であり、読んでいてカバーがぴらぴらと外れずに私の好みです。
ふとある日、どんなふうに折っているんだろう?と開いてみました。
さあ、展開図を広げてみて、しばし凝視。
高校生の息子が、「女の人って展開図、弱いんだね」と一言。
それはどんな根拠なんだ?と思いますが、実際女の人が弱いのか、私が弱い
のかはわかりません。
自作ブックカバーを作る日々
それからは手当たり次第に家にある本に合わせて、広告だの新聞だので折るわ、折るわ。なるべく違うサイズの本を引っ張り出しては、ひたすらカバーする。
コツがわかってきたところで、いよいよ本番です。
気がついたら、大量に溜まっていた和紙。
ちょっと前に、なんちゃって和綴にハマり、綺麗な和紙を見ると、ついつい買ってしまっていた時期がありました。
ダンボール一箱分の和紙をひっくり返しており続ける。
そのうちに、全部和紙・・ってのもなあ・・となりまして
自作の「猫の毎日」という落書きをプリントして折ってみることに。
私のプリンターはA3サイズ対応なので、文庫本はもちろん、四六判もいける。もちろん専門店などで綺麗なカバーはいくらでも買えますが、とにかく印刷さえできれば汚しても全然平気っていうのは気楽で良いです。
ガンガン印刷しまくり、折りまくる日々が続きます。
こうなるとグッと裾野が広がるのが、図書館で借りた本。
ブックカバーをしていれば、電車の中でも読めちゃいます。
返却しなくてはいけない本は、汚さないようにしなくてはいけないし、図書館情報が表に貼ってあるので地域情報大公開なのも、少し問題。
図書館で借りた本も怖くない
こんな理由から始まり、図書館利用頻度が一気に復活した、わかりやすい私です。
もうこうなると、本を読みたいからカバーをするのか、カバーを作りたいから本を読むのかわかりません。(おそらく後者)。
まあ理由はなんでもいいわけで、それがきっかけになって本を読む生活が戻ってきたわけですから。
ああ、こんな生活に戻れてよかった。このままでは私はスマホの中に埋もれて、「スマホ見ないと死んじゃう族」として、満員電車の中で口では説明できない角度になっても見続ける、という時間を過ごす人になるところだったかもしれない。。
綺麗な和紙に包まれた本を読んでいると、外国の観光客から、それ綺麗ですね、と言われたりします。
「どこかで綺麗な和紙を買われたら、こんな風に折ってみたら?」と簡単な折り方を教えてあげるとすごい喜ばれたりするのも、楽しい一時であったりもします。
ところでそんな綺麗や和紙や、猫の落書きブックカバーの中は夏目漱石から始まり、カポーティ、養老孟司、腰痛の直し方、だったりします。
なので、ブックカバーをされている方のはどんな本だろうなあ?と最近気になったりしているのです。
ブックカバーから瞑想まで辿り着く自由
人様が読んでいる本をあれこれ想像しているわけではないですが、下のスマホ画面だけの世界だけじゃなくて、ちょっと周りを見る。人を見る。
そんな風に自分を取り囲んでいる範囲をちゃんと目で見て、
自分がどこにいるのか、
どこに立っているのか、
足の裏はどこに触れているのか、
そこから空気が入ってきているのか、
そこから体の中を呼吸は流れているのか、
こんな風に感じる事が瞑想の代わりになるのだと思います。
ご近所さんのブックカバーから、瞑想まで
思考の展開は自由ですよ。だって私だけのものですから。