
島田潤一郎の本がトリガーになっている
春にこの記事を途中まで書いて下書きのままだったのですが、やはりアップしておきたくて。
「あしたから出版社」
何年も前に、町の小さな本屋さんにぶらりと寄った時。私はいつも本屋さんでジャケ買いとかタイトル買いなどしませんが、この時ふと買ってみたくなったのが、島田潤一郎さんの「あしたから出版社」という文庫本でした。
私はデザインやイラストを仕事にしてきましたが、この時は長い制作の中でモノ作りに混乱し、少し仕事を休んでいた時期でした。なので仕事に関係しそうなワードや物からなるべく距離を置いていたのですが、やはりこの”出版社”というワードが入ったタイトルに惹かれてしまい。
でも、"あしたから出版社" って?

この本を買ってから何年も経ちましたが、何かがあるとこの本を読み直します。いや、読み直すから何かが起こるのか、もうニワトリが先か卵が先か分かりません。
何回読んでも、何回も心に落とし込まれる言葉や文がこの本にはぎっしりと詰まっています。
これは愛の本。
心がつかまれる事って愛しかないんだな、と読むほどにわかるのです。
「あしたから出版社」を読んでしまうと、もうこれでいいや、と思ってしまいます。もちろん他の本も素敵ですが、ずっとこの1冊で私はお腹が一杯でした。
「長い読書」
島田さんの本を全部読んでいる訳ではないのですが、ある日新刊が出たことを知ったのは発売日の次の日の事です。雨が降っていました。
ふらっと立ち寄ったあの本屋さん。私に「あしたから出版社」を手に取らせた、小さな町の本屋さん。
あそこにだったらこの新刊があるかもしれない!いや、待て、あんな小さな本屋さんにいくら前に同じ著者の本があったからといっても昨日発売されたハードカバーの本があるか??
いてもたってもいられず、 傘をさして本屋に向かいました。
島田さんも書いていらしたように、小さな町の本屋さんの良いところはぐるっと見渡せば全ジャンルが一度にわかること。新宿紀伊國屋で本を探すのとはわけが違います。
前に置いてあった書棚あたりをぐるっと見回してみても、もう「あしたから出版社」すら無い。
ああ、あの時は偶然だったのだ。たまたま1冊だけ書店が発注した本だったんだ・・・。
そのままぐるっと雑誌コーナーをチラ見してからもう帰ろうとしたら、なんと店の正面に立てかけ置きしてあるではありませんか!
「長い読書」が。

しかし周りの平置きや立て置きの本には、本屋さん独特のポップが付いていて楽しく賑やかに紹介してあるのに、なぜか「長い読書」にはポップも紹介文も無し。ただストンと置いてあるだけ。
でもそのストン、とした景色が島田潤一郎さんの世界観っぽくてとても良かった!まさか、それも計算してのこの置き方だったのか・・・
そしてその近くにちゃんとありました。「あしたから出版社」が1冊。
飄々と店主が通りかかったので、長い読書を手に取り「これ、出たばかりですよね」と言ってみたら、これまた飄々と「そうですね。うちにはこの作家さん、この2冊しか無いんですけどね」って言われました。
あら、そうなのね(笑)
本をとってそっと中を開いた瞬間、わ!っと目が気持ち良い。
出版はみすず書房・・・ってことは?と奥付けを見たら、やっぱり!
印刷は精興社でした。ということは本文は精興社書体なわけです。
どうりでどうりで美しいひら仮名が、何かが吹き抜けるように次々に流れていきます。
島田さんの本をこの書体で読めるとは。私は幸せです。

精興社書体を語れるようなプロではありません。詳しい専門知識は置いておいて、私の目がこの書体をなんとなく好きなのです。
特にひらがな」が好きです。
「ほ」「か」「た」「に」
この辺りがなんとも好きなのです。
石川九楊先生のおっしゃるところ、ひらがなは”回旋”する書体である、ということ。「あ い う え お」と縦に綴った時、必ず字間は回旋しながら繋がる流れを持つ。
しかし「か」「た」「に」を美しく回旋させようと思っても、私はどうにもそんな風には書けない。もちろん、はっきりと次に繋がるよね!という明朝体はあると思うのです。
でも精興社書体のこの文字は、回旋で続く背景を見せながら、でもベッタリと繋がるようなそぶりは見せずに個々の文字として成り立っているような印象を受けます。
回旋する文字だからこの書体の「ほ」と「ま」はこんなふうに違うんだろうな、と勝手に思っているんですが、もし違っていたらどなたか教えて頂きたいとずっと思っています。
「長い読書」は、島田さんの語りをこの精興社書体という美しい書体が一旦飲み込んでからまた白い紙に書き出しているような、そんな目に見えない空間を感じています。
「本に出会ってしまった」
その数日後、人と待ち合わせのために外出し、少し時間があったので新宿紀伊國屋にふらっと入る。
そして立ち寄ったコーナーで、おっ!と思う本のタイトルを見つけました。
そのタイトルは「本に出会ってしまった」

タイトルから瞬間的に察しはつきます。きっと良き本に出会い、その本にとても影響を受けました、という話なんだろうと。
おおよそその通りなんですが、一人の作家さんではなく何人もの方が人生が変わった本との出会いをショートエッセイで紹介してある本でした。
その中になんと!島田潤一郎さんが荒川洋治さんの本のことを書いているではありませんか!これには驚きました。
もはやここまでくるとニワトリだの卵だのという話ではなくて、何か繋がってる!?って思う。いや、島田さんはそう思ってないし;笑
( 後で分かったのですが、ゆっくり目に読んだ「長い読書」にも荒川さんの事を書かれていました )
この本の中には荒川洋治さんの「文学が好き」が紹介されています。
島田さんの「文学が好き」の紹介の仕方が、本当に素敵なのです。島田さんの荒川洋治愛がぎゅっと詰まっていて、こんなふうに一冊の本と出会えたらどれほど幸せだろうか、と羨ましい。
私も荒川さんの本が大好きで、特に「忘れられる過去」が好きです。「忘れられる過去」もみすず書房から精興社書体で出ています。
荒川洋治のあの川が流れるような文章とこの書体の組み合わせで読む事は、私にとって静かで贅沢な時間です。

購入した「長い読書」を雨の中、若干前傾姿勢で抱えるように家に持ち帰る。コーヒー入れてさっそく読み始めると、わー、もうだめだ、やっぱり良い、良い!と興奮してしまうので、次の目次のところで一旦しおりを挟んで閉じて深呼吸したり。
島田さん言うところの”読む体力”が落ちないうちに、どんどんと読み進めたいのだけど、なんていうかあっという間に読む時間が過ぎていってしまうのがもったいなくて、やっぱり閉じてしまいます。
私はそういうケチな人なので、ちょっとゆっくり目に読んだのでした。
そして「長い読書」を一冊読み終えて思うことは、
これから生きている時間の中でどれだけの本を読めるんだろうか。
どれだけ長く読書ができるだろうか、と。