「おいあくま」と息子
息子が「家を出ることにする」、と言い出しました。
進学の為であるとはいえ、ずっとこの家で暮らすと勝手に思っていた私は、突然の報告にびっくり!
考えてみれば、ずっと一緒に暮らすわけはないのですが、心の準備が全くないところへの宣言だったので、驚きました。
そういう私も進学のために、さらりと家を離れましたし、その事が親にとって、金銭面以外にどのように影響するかなんて、当時は考えもしませんでした。寂しい、とか不安、とか彼らにあったのだろうか。。
さて、私のショックは=ただ寂しいだからだと思っていましたが
しばらく時間が経ったところで気づきました。
一人息子の手を離すという事は
これから自分とまた向き合う必要が出てきて、
それは体力とか気力がかなり必要であるのです。
長年彼を言い訳に、あれからもこれからも逃げてきた事実を改めて感じているからです。
もちろん子育てをしてきたわけなんですが、それを盾にしてきた細かいことは沢山あります。
となると、今後はもういろんな事を彼のせいにできないので、日々の行動がダイレクトに自分に戻ってきます。
抱きしめるから始まった最後は
子育てにおける母親のする事はいろんな意見や言葉がありますが
以前何かで聞いた事がありまして、それを私なりに解釈したのが次の通り。
①赤ちゃんの時
ただ「抱きしめる」だけ、でいい。
②幼児期〜小学生
抱きしめる事が終わったら→ただ「手を繋ぐ」だけ、でいい。
③中学入学
手を繋ぐ事が終わったら→「見守る」だけ、でいい。
④高校卒業
見守る事が終わったら→そのまま「目を離す」でいい。
目は離して、心離さず。
本当にこの通りできてきただろうか。
我慢できずに余計な事をしてしまわなかっただろうか。
彼はその時、どんな感情を持ったのか、そしてそれを飲み込んでしまわなかっただろうか。
想像ばかりが後追いする毎日です。
おいあくま
旧住友銀行の元頭取、堀田庄三氏さんの言葉として有名ですが、
改めて思い返してみました。
「おいあくま」
・怒るな
・威張るな
・焦るな
・腐るな
・負けるな
耳の痛い言葉です。
しかし当の私はといえば
・怒るし
・威張るし
・焦るし
・腐る
ああ、息子への見本にはなっていないのです。
でも、最後の「負けるな」だけは負けないで進んできた気がします。
一生懸命 いつでも100%で立ち向かってきました。
負けない相手は弱気な自信のない自分、です。
負けた相手は忘れない
この国に住み・暮らしていると、どうしても比較対象の範囲は狭くなります。人種も国土も一つだけ。
自宅の庭を難民が歩いて通るわけではなく、陣地合戦の爆撃が飛んでくるわけでもありません。
なので、比べる対象が前の席のなおみちゃんとか、子供の同級生のママや、ひいきされていると思っている会社の同僚とか。
比べて戦う相手はそのくらいです。
もっとも目に見えるだけまだマシかもしれません。
今や会った事もない、実在しなったりするネットの向こう側の人と戦う場合もあるわけなので。
でも、お隣さんでもなく、戦争を仕掛けてくる国でもなく
戦う相手はもっと身近にいる自分しかいない。
その自分はといえば、なおみちゃんや佐藤さんとかとの戦いで疲弊し、
心はすっかり自信を無くしてしまっています。
その自分に負けた事は、他でもない自分が一番よく知っていて、
負けた事実は忘れられない。
自分を信じられる、かどうか
自分を信じられる方法がなんなのか、私はまだわかっていないけれど、
息子に言ってきたことは、「やってきたのだ」と言う事実しか裏付けが持てない、と。
やってきた事実は自分しかわからなくて、そこに嘘はつけなくて、
だから今自分ができることを一生懸命やるしかない。
自信とは、良い結果が積み上がることではなくて、「やってきた」事実が作っていってくれるものだ、と背中を見せてきたつもりなんだけど、彼はどう感じているのかなあ。
そんな私もこれからの自信を持って生きるために、まだまだ「やっていく」事実を自分に見せるしかない、と思っています。
3つの”間”
結婚式の定番スピーチ「3つの袋」のようですが、
学校の校長がおっしゃっていた、素敵な言葉。
大事にしてほしい3つの間とは
・時間
・空間
・仲間
なるほど。本当にどれも大事な「間」です。
時を刻み、肌でその場を感じ、そして一緒に生きていける友がいる。
これを大事にしていけたら、相当幸せな人生だと思います。
これから一人でその先へ歩んでいく息子にもそうあってほしいです。
そして私もこの先、自分と向き合うパワー。それは無理矢理こじつけるようなものではなく、たらまず湧き出てくるような何か、です。
そして私の「おいあくま」は、これからまだなんとかなるのかな・・。