欲望が大切
コロナ禍になってから、急にいろんなことに興味が出てきたり、しばらく失っていた興味が復活して来たりしている。対象も歴史・経済だけでなく、車・サッカー・音楽・美術・ファッション・政治・安全保障など、多岐にわたっている。
単純に時間ができたことが大きいのだが、ひとつには、歳を重ねたことによって肩の力が抜けたこともあると思う。
若い頃には「他人に馬鹿にされたくない」とか「自分はいつも物事の本質を見抜いている(と思いたい)」という意識があって、
興味があると言うからには人よりも優れて詳しくなければならない
人よりも優れて詳しくなる自信がないなら最初から興味を持たない
というように生きていたように思う。またそれがさらに進んで、
自分が興味を持つ対象は決してミーハーなものであってはならない
などと、誰の得になるのか分からないようなこだわりもあったし、
欲しい物でも手に入れられないなら、物欲そのものがない振りをする
というように生きていた面もあった。
そのために興味の範囲を自分で出来るだけ絞り込んで、自分の世界を狭くしていたように感じる。
だが今では、そんな窮屈な考え方をすることも少なくなった。若い頃よりも自由になったのではないか。今こうしてnoteの記事を書いていることも、他品の評価を気にするよりも、まずはやりたいと思ったことをやってみようという、自由な心境への変化の表れだ。
改めて、欲望が大切なんだと思う。
自分の欲望を素直に認めて、欲しいものを手に入れるために人は頑張る。欲しい対象はモノかもしれないし、名誉や権力、はたまた異性かもしれない。
そういうと何やら独善的で非道徳的に聞こえるかもしれないが、もちろんやってはいけない手段はとれないし、我を通すだけでは少し長い目で見て色んなものが手に入らないだろうから、決して人倫と相反することではない。
それよりも、あるはずの欲望を「ない」ことにして、結果的に苦しみ不幸になってしまうと、それは自分だけでなく周囲の人をも不幸にしてしまうことになる。不幸のオーラを放つ人の近くにいて幸福を感じる人はいない。
自分の欲望を大切にすることが、結局は自分も他人も幸福にする道なのだと思う。