
シンプルな思考が一番幸せ
例えばあなたが会社員で、顧客の発注を受けて見積書を作る担当者だったとする。そして、周囲からはこんな風に言われてたとする。
顧客「来週でいいから、100万円以内で抑えて欲しい」
上司「100万円超えてもいいから今日中に作って欲しい」
同僚「今日は手伝えないけれど明日だったら手伝える」
さて、どうするべきか。
以前の私だったら、こんな風に考えていたかもしれない。
「上司は100万円超えてもいい言うが、やっぱり100万円で抑えたい」
「100万円超えてもいいなら今日残業したら作れそう」
「でも本当なら100万円で抑えられるかもしれない」
「それにはもっと調査が必要で、今日中にはできそうにない」
「ならば明日になっても100万円に抑えるか」
「そうなると上司の指示に反することになる」
「しかし顧客の依頼には応えられる」
「明日になって100万円に抑えられなかったら上司に言い訳できない」
「でも顧客には話やすくなるな」
「ならば今日徹夜してでも調査して100万円に抑えるか」
「上司にはトロいやつと思われるだろうな」
「徹夜までしたらそれはそれで怒られるかな」
「明日なら同僚にも手伝ってもらえるし」
「今日無理して残業したら同僚の好意を無にすることになる」
「というか、信用してないみたいに思われるかも」
で、どうするか考えているうちに時間ばかりが過ぎていき、結局今日にはできず100万円にも抑えられず、手伝ってもらう同僚にも必要以上の負担をかけ・・・と、最悪の事態にもなりかねない。
顧客と上司の相反する要求に同時に応えようとし、そのために自分が必要以上の無理をし、さらには同僚の言葉にも気を取られ、最後には「信用してないと思われる」などと、誰もそんなこと言ってないのに、仮想の「同僚の気持ち」を作り上げて、それにさえも応えようとしている。
あらゆる観点から最善策を検討していると言えば聞こえはいいが、本質的な部分の考慮がなされていないままで、周辺の事情ばかりを気にしている。
針の穴を通すような難しい作業を、自分で勝手に作り上げているのだ。
素直に考えれば、
・上司に従って、100万円を超える見積書を今日作ってしまう。
・100万で抑えるなら今日には出来ないから、上司に相談する。
・同僚の好意は、明日になってから考える。
で、いいはずなのである。
会社員だから上司の指示が一番で、それが出来るならそれ以上考えることはない。できない事情があるならまず相談すべきで、相談もせずにその先のことを考えてもあまり意味はない。同僚の好意はありがたいが、今日のうちから考えてもさらに意味がない。
本質的な部分をまず考え、周辺事情はそれから考える。それが優先順位というものだ。
私ももう、余計な考えるのは止めにした。
シンプルな思考が、一番幸せということらしい。