日本は中世から割と大国
日本は戦後、高度経済成長し先進国の仲間入りを果たした。しかし決して戦後の新興国ではなく、戦前いやそれ以前からかなりの先進国であったし、少なくとも部分的には中世から大国であった。そのことを確認してみたい。
戦後:GDP世界第三位の経済大国
日本は現在、言わずと知れた経済大国である。しかも第二次世界大戦の敗戦によって世界最貧国まで落ち込んだにもかかわらず、わずか二十数年で当時の西ドイツを追い抜き世界第二位となった。
さすがに人口14億を擁する中国に追い抜かれてはいるが、今でもドイツの1.3倍、英仏の2倍程度の規模である。
紛れもなく、経済大国である。
戦前:非白人国で唯一、国際連盟常任理事国
戦前の日本というと、暗く停滞した、欧米に比べてはるかに遅れた国だったように思うかもしれないが、案外そうでもない。現在の国連の前身である国際連盟の常任理事国だったのだ。
もしも今、日本が国連の常任理事国になることを想像してみればいい。経済のみならず、外交・安全保障も含めたあらゆる面での大国でなければ無理だと分かるだろう。
戦前の、今よりもずっと人種差別が露骨であった時代に、そういう位置に日本はいたのである。
大正デモクラシーや大正ロマンなどといえば、明るく発展した民主主義国を思い浮かべるだろう。それも戦前のことである。確かに暗澹たる時期もあったかもしれないが、せいぜい終戦直前の3年間くらいのことだ。
総じて、それほど悪い時代ではなかったはずなのだ。
明治:日清・日露戦争に勝利
2つの戦争での勝利は、今の私たちが考えるよりはるかに大きな意味を持つ。
清国は欧米列強に痛めつけられていたとはいえ、日本と比べればまだまだ大国と思われていたし、ロシアは当時世界最強のバルチック艦隊を保有していた。日本はそれらを打ち破ったのだ。
これは、明治期に日本の工業力が急成長したことを示す。日清戦争は1894年、日露戦争は1904年だから、明治維新からわずか30~40年ほどで、世界の一流国にのし上がったのである。
戦後の経済成長も奇跡的だが、明治期の急成長も眼を瞠るべきなのだ。
江戸:江戸は人口100万人の世界最大都市
18世紀前半には、江戸の人口は100万人に達していた。
同時期のロンドンが80万でそれでも第二位、パリは50~60万人くらいだったようなので、堂々たる世界第一位である。
経済力でも、ヨーロッパには敵わなかったかもしれないが、一人当たりのGDPは少なくともアジアでは最大だったようだ。中国やインドに比べ植民地化を逃れていたのが大きいようだが、産業革命以前の経済規模としては決して小さくはないはずだ。
さらに、これだけ人口でありながら治安が極めて良くかったことも特筆すべきだろう。
戦国:鉄砲保有数世界一の軍事大国
鉄砲が種子島に伝来したのが1543年。それから短期間で日本は鉄砲を国産化し量産化した。その保有数は世界最大で、一説にはヨーロッパ全土よりも日本一国の保有数が多かったという。
日本は当時から技術大国でもあったのだ。
イエズス会の宣教師もその多くが日本の軍事力に驚き、中には本国に向けて「日本を軍事的に征服することは不可能だ」と報告した者もいたほどだ。
江戸時代のところで日本は植民地化を逃れていたと書いたが、それも決して偶然ではない。軍事力の裏付けがあってのことだったのだ。
鎌倉:世界最強の元軍を撃退
日本が海に囲まれた島国であったことが、元寇での勝利に有利に働いたのは事実だろう。また、平安貴族の時代から武士の時代に移っていたことも、日本には幸いであった。
それでも13世紀に世界を席巻し、中国や中東、中央アジアから東欧まで向かうところ敵なしだったモンゴル軍を、鎌倉武士たちは一致団結して撃退したのだ。
相応の武力と食糧生産や物資輸送などの生産力があったからこそできたことだろう。当時の鎌倉幕府が武士たちを掌握し統率できたということも、文明の力として無視できない要因だ。
まとめ
何故だか分からないが、日本を不必要に貶めようとする人たちがいる。経済だけは一人前だが内実は後進国で取るに足らない国だと言いたがる人たちだ。
そういう人たちは、日本が戦後になって急に発展したかのように語る傾向がある。
だがこうして見て来たように、日本はここ数十年に突然現れた国ではない。少なくとも中世から、世界の大国とは言わないまでも、それなりに発展し文明を築いてきた先進国家なのだ。
私たちはこうした歴史を受け継いでいることを自覚すべきだと思う。
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