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共に生きているから。
今日は初めてのところへ出向いて
初めて会った人と、今日が1月17日だという話からではなく、色んな話をする中での流れで、3.11の話になった。
あの日、何してました?
と。
3月だけど雪が降った日でしたよね。
と、あの日にぎゅいーんと引き戻される。
その人は、2011年のあの日、渋谷にいたのだそう。
私は渋谷から一駅の家にいましたよ。と。
阪神淡路大震災を経験してる私は、あの日の揺れが、この先どうなるのか、怖くてしかたなかったのだった。
東京に住んでから、しばらく、コップに水を入れてテーブルに置いて揺れてないか見てるという、異常な日を過ごしていた時期もあった。
渋谷にいたというその人の帰宅難民になった話を聞いて、
ダンナサンとは連絡が取れなかったけど、当時の勤務先の赤坂見附から歩いて夜に帰宅したのだったと、あの不安な日を思い出す。
その流れで今日は1月17日ですよね。
って話に当然なった。
30年前、我が家は兵庫県芦屋市の激震地区に住んでいた。
古い社宅だったけど意外にも建物は無事で、勤務先からの指示を待って、何日か社宅で過ごしたのち、家族は実家に避難、夫たちは単身で用意された宿泊先へ避難することになったのだった。
うちは、私の実家が大阪にあったので夫婦で実家へ避難できたのはありがたかった。
芦屋から西宮北口まで歩いて、そこから大きなリュックと共に満員電車に乗ったのだった。
実家の近くの駅に迎えに来てくれていた叔母が私を見つけるなり抱きつき泣いていた。
ライフラインが整ってすぐに社宅に戻ったのが桜の時期だった。
今日会った人は、3.11をきっかけに非常時に食べられる食品を作ったのだそう。
すごい。
食べたいと思って購入させてもらおうと思ったら、お試しにと、ひとつ下さったので食べるのが楽しみ。
我が家が今の生活になったのは、3.11から始まってると思う。
東京に住めないとか、そういうことではなく、
“自分の人生、今のままでいいのか?”
と自分の中での揺さぶりが大きく起こったのだと思う。
きっと、そういう人がたくさんいたと思う。
あの3.11の前後は、私も色んな夢を見て、多分、過去の記憶やいろんなことを夢の中で浄化していたと思う。
怖いと思うものも夢に見たけど、そのどれもが「もう大丈夫」
「今度は大丈夫」
という結末だった。
リアルな夢ばかりだったから今も夢の内容やその時の体感を覚えている。
地球の進化、次元上昇の過程として、自然災害が起こるのは自然なことだという話を私は根拠なく納得している。
それを私たちのあり方で小さくできるという話も。
それは、何か大そうなことをしないといけないとかではなく
ただ、心穏やかに毎日を過ごすこととか、
好きなことをして楽しむこととか
やりたくないことやらないとか
自分にやさしくすることとか
そんなことでいいのだと思う。
そんな人が増えることで、地球が軽くなるような
そんな気がしています。