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母、79回目の誕生日

2011/6/3

家を出る前から、何度か溜息が出た。なんとなく、気が重たかった。
今日は、母の79回目の誕生日。

ものすごく期待されているんじゃないか? その期待を裏切るんじゃないか? 私が来るのを待ち構えていて、もしかして今日もまた、入浴を断ったりはしないだろうか?

そして期待していたよりもずっと遅くに私がやってきて、お風呂も入りそびれ、実際はたいした盛り上がりもなく、虚しい想いに囚われるんじゃないだろうか? だなんて、久しぶりに、人の感情にまで責任を持とうとする、私の旧い、悪い癖が顔を覗かせる。

母が病院で誕生日を迎えるのも、これが3回目。とても、複雑な気持ち。

一昨年の誕生日には、介護用品売り場で見つけた、伸縮性のある薄いピンクの素敵なカーディガンをプレゼントした。寝たきりの母には少し高価で、母はとても気に入ったけれど、「もったいない」と言い続け、今年もほとんど着ようとしない。

去年は、香りグッズで誤魔化した。枕にスプレーするバラの香りのミストと、アロマの香りを吸い上げるバラの造花。

今年は、骨ばかりの足と足が重なると痛むので、間に挟むための、薄型の羊の形をした枕。それと、サッと羽織る日除け用の薄手のカーディガン。アイボリーで、水玉模様の織りが入っている。

「素敵…。高かったでしょ? そういうモダンなもの、この頃持ってないから…」と、母は静かに満足する。寝たきりになっても、やはり母は服が好きなのだ。

実際は田無のLIVINで買ったもので、以前の母が普通に買っていた洋服とは、
ゼロがひとつ少ない価格レベル。

「散歩に行く時に、羽織ろうね」と私は言うが、実現するかどうか怪しいと思っている。これからの暑い季節、パジャマの上に羽織る必要もないではないか。なんとなく後ろめたくて、私はそそくさと引き出しにしまった。


先日姉のつくったイチゴのショートケーキを食べたというので、今日は、チーズスフレケーキを持っていった。大きかったけれど、美味しいと言って、母は半分以上食べた。それも、病院からのおやつのババロアを食べた後に。

この間ほどではないけれど、今日も呑み込みが悪い。ヒヤヒヤしながら、でも欲しがるので与える。


母がこの病院に入院したのは、2008年の10月。ここに来てからは、病状に大きな変化は見られない。螺旋階段状に、上がったり下がったり、でも遠くから見てみれば、ゆっくりとではあるけれど確実に、落ちていっていることがわかる。

あと何回、母の誕生日を祝うことができるのだろう。
あと何回祝うことができたとしても、それが嬉しいのだと、ただ素直に嬉しいのだとは、どうしても言えないことが哀しい。生きている嬉しさと、死ねない苦しさと、生かされている有難さと。

誕生日の記念に撮った母の顔が、あまりにも哀しく歪んでいたので、私は言葉が見つからない。

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