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Photo by
ibaraki_nakai
今年の花畑
2011/5/11
一昨日、母と散歩に出かけた。
通常のよりも、うんとでかくて背の高い車椅子。硬直した足を載せる足台も、左右高さが違ったりして、要するに前後にとても幅をとっているために、移動の際にかなりの注意力を必要とする。
私の身長が低いため、高さのある母の車椅子はとても押しづらい。おまけに散歩コースの途中は坂道なので、結構な神経を遣う。
去年も行った、病院の近くの花畑。今年はまだ、満開じゃなかった。
去年の母はまだ、カメラに向かってどうにか笑顔を向けようとし、無理やりに口角をあげる努力をした。固まった手で、ピースサインをつくろうとしていた。でも今年の母はもう、そんなことはしない。
それでも私の問いかけに、聞き取れないほどの小さな声で、「アイリスよ」「かすみ草」「紫大根の花」と、正確に記憶している花の名を呟く。
顔筋までが硬直した母は、ほとんど笑うこともなくなってしまったけど、
「今日は嬉しかった…」と、病室を去る時私に言った。
表情を失くしたからといって、感情を失ったわけではない。ましてや人の感情を、察知できないわけではない。むしろ元気だった頃以上に、相手の魂みたいなものまで、鋭く掴んでいるような気がする。
私のずるい気持ちや逃げたい気持ち、誤魔化したい感情なんかを、無表情の母にすべて見透かされているような、そんな気がして。