ベッドの上で想うこと
2009/6/18
(この記事は2009年のものです)
先日から、母の隣のベッドが空いた。
夜中に隣のお婆さんの異状に気づき、ナースコールをしたのはうちの母だ。「娘も駆けつけてきたのよ」と母は言う。「具合が悪いから、二人部屋に移ったんだって」母はそう言って、それ以上詮索しようとはしない。真実を知りたくないという気持ちも、働いているのかもしれない。
周りから見ると、実にあっさりと、命は途切れる。だけど長いこと患い続けてきたという隣のお婆さんの家族にとっては、それはそれは長い、苦悩の歴史があったのだと思う。お婆さんにも家族にも、「お疲れさま」だ。
「早く、歩けるようにならないかなあっ!?」と、眉を八の字にしかめて、出ない声を振り絞って母が言う。「せめて、立つだけでもいいの。もうこの先一生ずっと、立てないままなのかなあっ!?」
強い語尾に、母のやり場のない苦しさや、どうにもならない現実への、憤りのようなものを感じる。
この先…? 一生ずっと…? 私の胸には、複雑な想いが巡る。
「そうねぇ。もっとリハビリして、足を太くしないと、そのデカイ頭は支えられないわよね」と、いつものように私は、笑って誤魔化す。母を笑わせて、誤魔化す。
母は私が病室を去る時刻ばかり気にする。「楽しい時間は短いね」と呟く。
「この間、夢を見たのよ。『あっちゃん、泊まっていきなよ』ってアンタに言うのよ。アンタが『泊まるとこなんかないじゃない』って言うから、『ここに寝ればいいのよ』って。ベッドの脇のところに…」
…そりゃあ、淋しいよなぁ。淋しくないはずがないよなぁ。
私が歳をとって、同じように身体の自由を失ったとしたら、こんなに毎日淋しさを抱いたまま、病院のベッドの上で生きていけるかなぁと考えてみる。
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