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「勇気がないのよ」
2007/07/01
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)
朝、今日も鬼太郎を観るのを諦めて、ベッドでグダグダしていた。日ごろの寝不足がたまって起きられない。
10時半ごろ、母から電話。「ちょっと来て」と言う。
行ってみると、母はソファに仰向けに横たわり、膝を曲げ、死にかけた虫のようになっている。瀕死のカナブンみたいだ。
少し前、宅配の人が来て、代引きの荷物を受け取ろうとしたら、頭が真っ白になってその場にへたり込んでしまったという。宅急便のお兄さんは大慌てをして、大丈夫ですか? を繰り返し、「すっかり迷惑かけちゃったわ」と言う。
母は、自分はどこか悪いのではないかと疑う。脳がおかしいのではないかと。最近言葉が出てこないのだと。
だけどそれは脳梗塞なんかではなくて、ずっと一人でぼーっとしているから、頭が働かないだけなのよ。
「だけどこんな身体じゃ、どこにも行けない」と、母は言う。母の身体はすっかり痩せて、厚みがなくなってしまった。歩かないから足の筋力は衰え、触るとぽよんぽよんと揺れる。
今までだって、いろんな検査はしてきた。私だって付き添った。調べても調べても、これといってどこも悪くはない。歳相応に老化しているだけで、内臓に異常があるわけではない。
乳がんは小さいうちに取りきって、その後何の支障もない。血圧は確かに時々驚くほど低いけど、一日のうちに正常な時間帯もある。
「精神的なものかしら」と母は言う。そのとおりだよ、カナブン…。
母は何ひとつ選べない。変わることが嫌なのだ。今までどれだけのことを私は提案してみただろう。
私たちと一緒に引っ越して日の当たる明るい家に住むこと、プロのお掃除やさんに水周りの掃除をしてもらうこと、お昼にお弁当の宅配を頼むこと、介護の人に来てもらって、身の回りの世話や買い物を頼むこと、話し相手の人に来てもらうこと、介護付き高級老人ホームを探すこと、車椅子に乗って通院や買い物に出かけること、等々。
母は一瞬その気になるがすぐに「やっぱり嫌」となるか、「そんなの嫌よ」か、曖昧なまま取り組まないか、のどれかだ。母は友達にも見栄ばかりはっているので、何一つ自分の見苦しい話をしない。
たまに、どうにかこうにかタクシーを使って通うコーラスの友達には、「あなたが一番しあわせね」と言われているらしい。うるさい夫もいないし、娘3人に囲まれて、のびのびと優雅に暮らしている、そんなイメージなのかもしれない。
そんな嘘っぱち、全部否定すればいいじゃない。本当のことを言えばいいじゃない。私はちっとも幸せじゃないのよって、言えばいいじゃない。虚像と実像のギャップに、母はいつもつまらない思いをしているんだ。
母が小さい頃から守り通してきた秘密。「他人に言ってはいけない」という強い縛り。思い込み。
父が癌だったことを、本人や子供たちはもちろん、自分の両親にさえ隠し通したこと。そんなことにまで、話は及んだ。母はいつも秘密を持って、嘘ばっかりついて生きてきた。
悔しくて哀しくて歯がゆくて、私は泪がとまらなかった。
「朝から悪いわね」と、泣かなくなった母は淡々と言う。
身体が言うことをきかなくなって、母はどうにもならない現実に向き合う。母は一人で何かを楽しめる人ではない。人の間にいて、はじめて輝く人だ。
今でもコーラスにどうにか行ってこれた日には、驚くくらい若々しく、綺麗に見える。
今ならまだ、残りの人生を楽しむことだってできるのに。人と話をして、頭を働かせれば、血圧だって上がるのに。
「新しい環境に飛び込むのが苦手なのよ。慣れるのに時間がかかる。友達にも、あなたには無理よって言われるの」母が環境を変えるのを拒む理由だ。「勇気がないのよ」
75歳の母と、勇気の話をするとは思わなかった。
だけどお母さん、最後まで人間に大切なのは、勇気だよ。